私たちの欲望というのは・・・
そっか・・・感覚器官の欲望なのか。
きっと今までにも聞いたり読んだりしていたんだろうけど、
初めて自分の欲望に当てはめてみたんだろうか?
今回Truptaに同行して彼が説明する感覚器官の話を聞きながら、頭だか心だかにガッツリと入った。
ガッツリと入ったというのは完璧に理解したという意味ではない。
わかった、と思ってもまた混乱してしまうのが私でアル。。。
このガッツリは「これやりたい」とか「これやりたくない」とか思った時に「どうして?」って考える、っていう程度だけどね。
それは何の欲求?感覚器官の欲望なんじゃない?それとも魂からきてる?とか考えちゃうっていう・・・。
そんな折、3日ほど前にヨーガセラピー講座を受講した際
「マインドとは何ですか?」
・・・ん~、マインドとは・・・と私なりに頭の中で答えを導き出していた時
「マインドとは感覚器官の欲望です」と言われ・・・
うむむ。。。
Truptaが来日中に考えていた「私が愛だと思っていたこの想いは本当に愛なんだろうか?もしかするとただの感覚器官の欲望なのでは?」という疑問に、
「しかも愛とはマインドとも違うわけね」という、またなんだか違う角度からの理解が加わったり。。。
ちょっとconfused...
まあね、確かに愛とは不思議な感情だよね、っていうかそもそも感情か?
Advanced emotionのカテゴリーに入ってるな・・・
Composed of Joy + Trust だって。その通りだな・・・
そう、なぜあんなに「愛してる♡」なんて思い込んでいたのに「いや、待てよ・・・」と思ったのかというと、このTrustがグラつく時なんだよね。
所詮私とmy raja jiの関係なんてほんの数日間のことで、普通に考えたらいまだに続いてることの方がビックリなんだけど、まぁ世の中の「普通」っていう定義もワケわかんないし・・・
自分の身の上に起こっていることを信じるだけなんだけど。
ある時あることがきっかけで「この人こんなことする時間があるくせに私にはメールもくれなかった」みたいなつまんないことで、今まで信じていたことさえ嘘だったように思ったことがあった。
何がどうであれ私が彼の事を信じられなかったことが一番の問題で、彼が実際にどうであるかはここでは問題ではない。私の愛が本物じゃないなら彼がどうであっても問題にはならないわけだから。
彼を見たい、声が聴きたい、話したい、匂いを嗅ぎたい(あるよね、これも^^)、触れたい・・・
まんま五感だよね?これ。笑
でも普通こうだよね?誰かを好きになると。
でもでも「愛」と呼ぶからにはここに違う要素が加わるのよね、きっと。
それは・・・。
私、Truptaに言ったのね。
「私、自分の愛はただの五感の欲望じゃないかって思う時があるのね。」って。
そしたらTruptaは
「愛とはcaring とsharingだ」と言い、
そ、それはウチのraja jiが韻を踏む「caring sharing respecting」と同じではないかっ!(笑)
と思ってちょっと笑えてしまったんだけど、Truptaが言うとそれはとても重みがある。
韻を踏んでる、とか茶化すような言葉には聞こえません(笑)
気遣い、分かちあうもの。か・・・。
「じゃあこんな場合は?」と私は例を挙げた。
男の人には奥さんがいて子供もいて、その人は家族に対しての責任としてちゃんといい夫と父親をしている。でも他に愛している女の人がいて、その人と一緒にいたいと言う。
うん、インドは親の決めた人とか占星術で結婚したりするから、結婚した後にそんな出会いがある場合もある。でも離婚もまだ欧米のように簡単なわけではないし、簡単なことではないね。
う~ん、それ実は私のことなんだけどね、と言うとTruptaは疲れているはずなのに、ちゃんとソファに座り直して親身になった。
どうしてこんなにいつも優しいのだ???
母親の年齢に近い女のバカな恋愛話をこんな真剣に聞いてくれるなんて(泣)
いやいやバカっぽいけど別にバカな恋愛話じゃなくて真剣な話だもんね!(笑)
感覚器官の話からズレちゃうので簡単に結論を言うと、
「マユミに愛してると言いながら、彼の妻にも愛してると言ってちやほやしているとしたら彼はただのassholeだ」と。
「彼はとてもクリアだ。後はマユミが強くあればいいだけだ。二人の関係が今後どんなふうになったとしてもマユミが傷つかないならどんな選択もOK。とにかく強くあること!」と。
よく恋愛話をする友人とは何かちょっとしたことがあると
「アスホール率高くない?」と
お気に入りのフレーズになっています(笑)
というわけで、私はとっても冷静に自分たちの関係を眺めています。
いつまで続くのか・・・再会の日があるのか・・・
自分の感情を追いかけるのも、こんな出会いや繋がりは実際どうにか進展するのか?とか、
色んなことが面白い。
ふと気づけば「人生は苦しくて当たり前」とか思い続けてきたのに
「人生はまったく面白い」になっている自分に最近気づいた。
はぁ、話はズレズレだし長くなったな。。。
そっか・・・感覚器官の欲望なのか。
きっと今までにも聞いたり読んだりしていたんだろうけど、
初めて自分の欲望に当てはめてみたんだろうか?
今回Truptaに同行して彼が説明する感覚器官の話を聞きながら、頭だか心だかにガッツリと入った。
ガッツリと入ったというのは完璧に理解したという意味ではない。
わかった、と思ってもまた混乱してしまうのが私でアル。。。
このガッツリは「これやりたい」とか「これやりたくない」とか思った時に「どうして?」って考える、っていう程度だけどね。
それは何の欲求?感覚器官の欲望なんじゃない?それとも魂からきてる?とか考えちゃうっていう・・・。
そんな折、3日ほど前にヨーガセラピー講座を受講した際
「マインドとは何ですか?」
・・・ん~、マインドとは・・・と私なりに頭の中で答えを導き出していた時
「マインドとは感覚器官の欲望です」と言われ・・・
うむむ。。。
Truptaが来日中に考えていた「私が愛だと思っていたこの想いは本当に愛なんだろうか?もしかするとただの感覚器官の欲望なのでは?」という疑問に、
「しかも愛とはマインドとも違うわけね」という、またなんだか違う角度からの理解が加わったり。。。
ちょっとconfused...
まあね、確かに愛とは不思議な感情だよね、っていうかそもそも感情か?
Advanced emotionのカテゴリーに入ってるな・・・
Composed of Joy + Trust だって。その通りだな・・・
そう、なぜあんなに「愛してる♡」なんて思い込んでいたのに「いや、待てよ・・・」と思ったのかというと、このTrustがグラつく時なんだよね。
所詮私とmy raja jiの関係なんてほんの数日間のことで、普通に考えたらいまだに続いてることの方がビックリなんだけど、まぁ世の中の「普通」っていう定義もワケわかんないし・・・
自分の身の上に起こっていることを信じるだけなんだけど。
ある時あることがきっかけで「この人こんなことする時間があるくせに私にはメールもくれなかった」みたいなつまんないことで、今まで信じていたことさえ嘘だったように思ったことがあった。
何がどうであれ私が彼の事を信じられなかったことが一番の問題で、彼が実際にどうであるかはここでは問題ではない。私の愛が本物じゃないなら彼がどうであっても問題にはならないわけだから。
彼を見たい、声が聴きたい、話したい、匂いを嗅ぎたい(あるよね、これも^^)、触れたい・・・
まんま五感だよね?これ。笑
でも普通こうだよね?誰かを好きになると。
でもでも「愛」と呼ぶからにはここに違う要素が加わるのよね、きっと。
それは・・・。
私、Truptaに言ったのね。
「私、自分の愛はただの五感の欲望じゃないかって思う時があるのね。」って。
そしたらTruptaは
「愛とはcaring とsharingだ」と言い、
そ、それはウチのraja jiが韻を踏む「caring sharing respecting」と同じではないかっ!(笑)
と思ってちょっと笑えてしまったんだけど、Truptaが言うとそれはとても重みがある。
韻を踏んでる、とか茶化すような言葉には聞こえません(笑)
気遣い、分かちあうもの。か・・・。
「じゃあこんな場合は?」と私は例を挙げた。
男の人には奥さんがいて子供もいて、その人は家族に対しての責任としてちゃんといい夫と父親をしている。でも他に愛している女の人がいて、その人と一緒にいたいと言う。
うん、インドは親の決めた人とか占星術で結婚したりするから、結婚した後にそんな出会いがある場合もある。でも離婚もまだ欧米のように簡単なわけではないし、簡単なことではないね。
う~ん、それ実は私のことなんだけどね、と言うとTruptaは疲れているはずなのに、ちゃんとソファに座り直して親身になった。
どうしてこんなにいつも優しいのだ???
母親の年齢に近い女のバカな恋愛話をこんな真剣に聞いてくれるなんて(泣)
いやいやバカっぽいけど別にバカな恋愛話じゃなくて真剣な話だもんね!(笑)
感覚器官の話からズレちゃうので簡単に結論を言うと、
「マユミに愛してると言いながら、彼の妻にも愛してると言ってちやほやしているとしたら彼はただのassholeだ」と。
「彼はとてもクリアだ。後はマユミが強くあればいいだけだ。二人の関係が今後どんなふうになったとしてもマユミが傷つかないならどんな選択もOK。とにかく強くあること!」と。
よく恋愛話をする友人とは何かちょっとしたことがあると
「アスホール率高くない?」と
お気に入りのフレーズになっています(笑)
というわけで、私はとっても冷静に自分たちの関係を眺めています。
いつまで続くのか・・・再会の日があるのか・・・
自分の感情を追いかけるのも、こんな出会いや繋がりは実際どうにか進展するのか?とか、
色んなことが面白い。
ふと気づけば「人生は苦しくて当たり前」とか思い続けてきたのに
「人生はまったく面白い」になっている自分に最近気づいた。
はぁ、話はズレズレだし長くなったな。。。
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