2015年8月16日日曜日

終戦記念日に思う「命」のこと

誰もがそうだと思うけど・・・

戦争 コワイ
戦争 ダイキライ

なのになぜか昔から戦争映画や戦争に関するTV番組をあえて選んで観るワタシ。

たいてい息をつくのも忘れて観ている。
そして重~~~~~い気持ちになって大きなため息をつく。

戦後70年ですから、
これまでに私もたくさんの残酷な映像を見て、たくさんの悲惨な話を知りました。

でもどれだけ見ても、どれだけ知っても、
いや見れば見るほど、知れば知るほど、
憤りは大きくなり、
感じることは毎度「教育」と「洗脳」の恐ろしさと、「命」の価値のこと。

戦争のさなか、
兵士の命は銃弾ほどの価値となり、
敵国で生きている人間の命は野原に生えている草ほどの価値となる。

戦争中は皆狂っている。
ということを踏まえて考えても

20歳そこそこの青年が国のために死にに行く???

罪のない者同士がどうして殺し合いをしなきゃいけない???

何のためになーーーーんにも関係ない人間が命を落とさなきゃいけない???

イノセントな人間ばかりが大きな力に操られて無駄死にし、地獄を味わう・・・

何度見ても戦争は地獄。
これが「地獄」というものだ、と思う。


今日観ていたTV番組で戦争で生き残った元兵士が言った言葉、
「死んだら二度と帰ってこれない」

当たり前のことだけでとても心に響いた。

本当に一度死んだら、もう二度とこの「私」の人生はやれない。
「私」は後にも先にもこの果て無き世界の唯一無二の存在なのだと思うと、
どんなにちっぽけでも、くだらなくても、
このインディヴィジュアリティは何があっても大切にしなきゃいけないんだと
今更だけど、強く強く思った。


昔から私はこんなに命のことを考えるくせに
自分の命については雑だったというか
病気になったり、自由のきかない体になってまで生きていたいとは思わないなぁ、なんて思っていた。
両親が「何が何でも長生きしなければっ!!!」みたいなこと言ってるの聞くと、
「何のために??!!!」なんて思ってた。

でもつい最近読み終えた本に
”人間は90歳を過ぎたころにようやく人生の意味がわかる”というようなことが書いてあって、
”人生を全うするという死に方は、ただ生きるのをやめるというように、できれば椅子に座った状態で、まさに生きるのをやめるだけ”というようなことを書いてあったのを読んで、
私もそうやって死のうと決め、長生きしてみるか、みたいな・・・そんな感じだったところで、

死んだら二度とこの私の人生には戻れないという思いが重なり、
また「命」の意味が少しだけ色を変えたように思う。

どんなことがあっても、もう戦争なんてしちゃいけないんだよ。
戦争体験者ももう90歳代になって、その貴重な生の体験談を聞けるのもタイムリミットが近くなっている。
今のうちに若い人たちにその地獄をたくさんつたえてほしい。

人が人を殺めるなんてことがあってはならないと、その地獄を伝えてほしい。
 

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