2015年4月25日土曜日

Samyak Yoga来日プログラムのご案内☆


ちょっとご案内させてくださいね~!

Samyak Yoga Trupta先生の来日が近づいてきましたよ~!

6月6日、7日のハタヨーガWS@燕Studio (もうすぐ定員です。ご検討中の方はお早めに)
6月8日~12日のアシュタンガヴィンヤサフロー5日間集中ティーチャートレーニングコース@湘南カリフォルニア

に引き続き、
6月13日(土) ロータスエイトさん東日本橋スタジオにて
「教典ハタヨーガプラディーピカーから学ぶ伝統的ハタヨーガの奥義」WSを開催します!

内容は以下のようになっています*****


13:00~14:30  伝統的ハタヨーガのアーサナプラクティス
14:30~15:45  ハタヨーガプラティーピカー概論
16:00~18:00  プラーナヤーマ&バンダについて理論と実践


ハタヨーガは人間の進化のあらゆる側面にフォーカスし、人々が至福へと向かうためにあみだされた古代から続くヨーガ実践法の一つです。

 

クリヤ(6つの浄化法)によって肉体の汚れを浄化し、アーサナで身体を安定させ、プラーナヤーマで生命エネルギーをバランスし、バンダとムドラーを通じてエネルギーの流れを調節します。

 

「ハタヨーガはすべてのヨーガへのはしごである」というヨーギの言葉があるように、ハタヨーガは現代のヨーガの基盤ともいえます。

 

ハタヨーガプラディーピカーは16世紀にスワートマーラーマ(Yogi Swatmarama)によって書かれたハタヨーガの教典です。

ハタヨーガの解説と行法が体系的に記されています。

 

ハタヨーガ実践の効果:

・クリヤで体内とナディスを浄化する

・アーサナによって身体の安定を作る

・プラーナヤーマによって身体と心のバランスをもたらす

・バンダとムドラーを通じてエネルギーを注ぎ込む

 

ワークショップ参加対象者:

※本ワークショップは主としてハタヨーガプラディーピカーで説かれている内容にフォーカスします

・伝統的なハタヨーガプラディーピカーの手法について学びたいインストラクターや生徒

・プラーナヤーマやバンダについてより深い練習法を探している方

・現代のストレスフルな生活に調和をもたらせたい方

 

通常のセッションではなかなか知ることのないハタヨーガの一部ですが、ハタヨーガを理解するためには大切な基礎知識です。「ハタヨーガとは何か」をわかりやすい説明で徹底的に理解するワークショップです。

 

セッション終了後はディスカッションの時間を設けます。

通訳さんが間に入り、先生に疑問点を直接質問していただけます。


詳細・お申込みはコチラ
http://www.lotus8.co.jp/workshop/1278-16774.html
 
********
 
少しファッションにもなってきているように感じられる近頃のヨーガ。
今一度ヨーガの本質をきちんと知ることがとても大切。
本質を知らなければいくらプラクティスをしてもそれはどこに到達するのでしょうか?
 
Trupta先生が日本のヨーギ・ヨギーニに認識される日を夢見てコーディネーターをしてきました。
 
これを読んでくださった皆さんにはこのチャンスを逃してほしくないです~~~!!
 
私のためでもSamyak Yogaのためでもなく、
みなさんご自身のために是非ご参加いただきたいと思います!!!

 

 
 


 




2015年4月21日火曜日

ジョーティシュリングをはずす

私の右手の指から遂に二つのジョーティシュリングが外れました。

薬指のルビー、ついで人差し指のイエローサファイヤ。
残るは小指のパール(シャンティのため)だけとなりましたが、
これも時間の問題と言われています。

初めてルビーのリングを外した一昨日、Mさんはその時私を見て涙ぐんだ。

指からも胸からもまゆみさんのエネルギーが溢れだした、と。


そして翌日の昨日、

「こっちもいらないよ」

と言われ外した。

ついでにマイソールでお坊さんに巻いてもらった紐(名前知らない)も「取っていいよ」と言われ、今日ガンガーに流してきた。


最初は「ダサっ!」と思ったジョーティシュリングも、さすがに6年も肌身離さずつけていれば分身のようになる。
なのに、外して物足りなさを感じたのはほんの数分間くらいなもんで、
なんだかもう苦しくてつけられない気がする。

気のせい?
思い込み?
なんかわからないけどエネルギーに敏感になることは悪いことじゃないと思う。

世俗(っていうのか?)には鈍感な方がいい、たぶん。
感覚を研ぎ澄ませてキャッチしなければいけない情報はfacebook上にはない(笑)

そんなのいちいち敏感になっていたらビョーキになるだけだ。


あ~、すっきりしちゃったな~、なんだか。
 

「魂」を理解する

先日ラムジュラのたもとでたまたま出会った日本人女性Mさんと3日間連続でデートした♡

彼女もまた私のターニングポイントに用意された人だったようだ。
彼女自身が私にそう言ったの。
鳥肌立つよね・・・

私たちは3日間たっくさん話をした。
私は自分の未熟な心の中を丸ごとさらけ出し、
彼女は終始にこやかにすごい宇宙の法則をたくさん教えてくれた。

昨日彼女を私がステイしているアーユルヴェーダDr.のところに連れて行って3人で話をした。

このカジュアルなシチュエーションで話せれる話の中身はどんなワークショップよりも私に学びのテーマとインパクトを与えた。
一万円出したってこんなワークショップ受けられないよ(笑)

ありがとう!神様!!(調子よすぎ^^;)

アートマ・・・わかってたつもりだったけど理解しきれてなかったな。ま、まだまだだけどね。

パラマートマ・・・そんなの聞いたことあったっけ??ブラフマンと違うの?それ?
  なんてアホなこと言っても、彼らは微動だにせずただ私に優しく説いて聞かせた。

Yogaとは・・・根本の根本の...一番大切なところ、2人は同じことを言った。
   「Unity」 それがヨーガ。ヨーガをするとは結合すること。一つになること。


私たちの魂は学びを重ねながら次の生、次の生へと移っていく。

今あちらの世界では早く生まれて学びたい魂の渋滞だという。
今この世界に肉体を持って生きている私たちは選ばれた魂だという。

魂たちは早く学びを終え、輪廻のサイクルから抜けたい。
だから早く生まれたい、ということ。

誕生待ちの魂が無くなった時がこの世界の終り。 だという。


前にテレビで太陽の光とhoneyだけで生きているという人を見た。
その時は特殊体質なんでしょ~とか思ってた。

でもヒマラヤにはそんな人がたくさんいるんだって。
太陽の光だけで生きている。
プラーナだけで生きている。

マジかっ!!と食いつく私にドクターは優しく言った。

彼らは前世、前々世...からヨーガをしているのだと。


Mさんは一日一食しか食事をしない。
一日の長い時間を瞑想に使う。
眠る時間も短い。
まったくそれで問題ないらしい。

1999年にヨーガ(=瞑想)を始めたと話す彼女にドクターは
「でも彼女が始めたのは実際は1999年ではないんだ。前の世からヨーガをしているから彼女にはそれが自然にできる」と。

ここに文字で表すのが難しいけれど、
この場でこの話を聞けたことに胸がいっぱいになる。

英語だから取りこぼしている言葉が多々あろうことは勿体ないけれど、
それでも今まで脳みその上を滑っていたことがここで刻まれたように思う。

私の準備が整ったのか?

いや期待するのはよそう。

だって私はそれでも私だもんね(笑)
 

2015年4月20日月曜日

聖なる地で改めて俗に目覚める

すっかり干からびて「おじさん」になってしまったかと思いきや、
いきなり「女」復活のワタクシ(笑)

この聖なるヒマラヤの地で男のことばかり考えている。
なんて俗なんだっ!!!(笑)

6年前初めて訪れたこの地リシケシで私は「聖なる」ことに目覚めた。

清いことが清々しく、私の中にあった純粋さが「これでいいのだ!!」と表に出てきた感じ。
自分で純粋とか言ってるのバカみたいだけど、
私をよく知ってる人ならわかる。
どんなに不良みたいなことしてても中身はアホほど純粋なのだ(笑)

極端な私はそれから完全なベジタリアンになってみたり、
日本で白装束の女になってみたり、
映画も見ないし音楽も聴かないしテレビも観ない人になってみたり・・・

極端に「そっち」の方ばかり見るようになった。

本もそんな本ばかり読んだ。(そのわりにはいまだに大した知識がない。頭がワルイ・笑)


最初は何でも楽しいのが相場。
だけど清い私自身に慣れてきて、なんだか少し人生が窮屈だった。
だけどそれにさえ気が付かなかった。
当たり前のことで苦しんでる、又は私の心が間違っているから苦しいんだって思った。


そんな極端な状態はだいぶ和らいでいたとはいえ,
今回のこのインド滞在まで「何かわからなさ」の中でモヤモヤしていたのだ。


なのに私が大きく変わったきっかけとなったこの地リシケシで
私はもうワンステップ自分の中に入ることができた!

今回トリバンドラムからインドに入って、リシケシにたどり着くまでに、
いろんな地でいろんな思いを経験した。

いろんな思いは私に・・・私の魂に、かな?・・・「私」を教えてくれた気がする。
私が私らしく自分の人生をエンジョイする方法。

その入り口に連れて来てくれた!


恋してると景色まで変わっちゃうじゃん。

ファンキーな音楽聴いてると何だってノリノリでできちゃうじゃん。

ちょっとお酒飲んでいい気分になったりするの、しあわせじゃん。


私の20代後半は酒とバラの日々だった・笑
恋ばっかりして、でも人生はノリノリだった。

その日々に戻りたいとか戻ろうとかそれが正しいとかはさすがに1ミリも思わないけれど、
私の本質はそこにもある。

そこにも。

そして「聖なる」場所にも。


バランスなんだ。

あ~一本気過ぎてこんな当たり前のことがうまくできなかった。


バランス。

これからの人生が急に楽しみになっちゃった♪
きっとバカなことするけど、それが私だから♪
私の人生をエンジョイしよう♪

リラックス&エンジョイ。


 

2015年4月17日金曜日

私のインドはここリシケシから始まったんだ・・・

今朝からタブレットが全く機能しなくなった・・・
wifiもキャッチしないし、写真まで撮れなくなった。さすがにショック。。。

要するに残り9日間のインド滞在は全く写真も撮れず、
もちろんfacebookやブログにも写真投稿ができないということ。

悲しい・・・

でも、ま、いっか。エッセイとかは文章だけだけどおもしろいもんね。
私エッセイ読むの大好き。
なので日々の思いは文字で残すことにしよう。


今朝は6時頃起きた。

リシケシは昼間は暑いけど朝晩は水を浴びれるような気温ではないので
バケツにお湯を作って行水をして、
軽くプラーナヤーマとアーサナをして、
ドクターが運んできてくれた甘いチャイを飲んで(北のチャイはやっぱ甘いな)
アールーポランタの朝食をいただいて・・・

まさに北インド!!な日々です。

蝿がいっぱいです。

あ~そういえばリシケシってこんなだったな~って
いちいち昔を振り返ってしまいます。

今はTapovan(ラクシマンジュラの近く)のアーユルヴェーダドクターのお宅でお世話になっているけれど、私が初めて滞在したリシケシはこんな素敵に旅行客向けにされた場所ではなくて、
あの最高にごちゃごちゃした人と車と牛と豚と・・・色んなものでごった返したサブジマンデーのすぐ近くだったのだ。

昨日は2つの橋の近くをウロウロしたけれど、今日はそのごちゃごちゃのリシケシの町まで行ってみた。
ギュウギュウ詰めの乗合オートから眺める景色で当時を思い出した。

今回もドクターが笑って話していたけれど、
私は初めて訪れる何もわからないインドで、一人自転車に乗ってかなりの距離を毎日クリニックまで通っていたのです。
そう、この橋・・・そういえば自転車で渡ったな~なんて思いながら。

まずはトリベニガートに行った。

初めてのガンガーはここだったから。

「ガンジス川に行きましょう」と言って連れてこられたこの場所。
ゆるやかに流れるグリーンの川。透き通った冷たい水。

テレビで観るヴァナラシのガンジス川しか知らなかったので「ぽか~ん」としたのを覚えている。

その場所に一人で行って、サンダルを脱いで、ゆっくりと足をガンガージーに浸した。

ひんやりとする
すーっとする

何かガンガージーに入る時の儀式があったような気がするけど忘れちゃったな~。

子供たちが物乞いに来る。
私は正直子供の物乞いにものすごく嫌な気持ちになっちゃうんだー。
外国人を見ると足元に絡みついていつまでもお金をくれと手を出している。
こんなことをさせている大人に無性に腹が立つのだ!
こんな小さな子供にそういう生き方を教える大人に腹がたつ!!

通じるわけないけど
「そうじゃないでしょ?違うでしょ?」と日本語で子供たちに言いながらお金はあげなかった。


今日はリシケシに到着して初めての晴れ。
南の湿った暑さとは違う、乾燥した暑さ。結構しんどいな、これ。
ってわけで、「そうだ!この辺りにリシケシ一美味しいラッシー屋があったはずだ!」
とテクテクテクテク歩いてみたけどついに見つからなかった(泣)

疲労困憊。
ゴールドジュエリーショップを見たかったけどあっさり諦めて、
ラムジュラに向かってオートに乗った。

とにかくこっちのオートは詰め込めるだけ詰め込むので、
隣りのお兄ちゃんと半ケツ状態。筋肉痛になるよ。。。とほほ。


ラムジュラではfacebookでおすすめされた「マドラスカフェ」に行ってみたよ。
wifiもけっこうサクサクと聞いたけれど、自分のタブレットそのものが壊れていてwifiがキャッチできないことをここで知って撃沈。。。

撃沈でも腹は減る。
久々のマサラドーサを注文した・・・っていうか私今回のインド、これが2度目のマサラドーサかも。
南に一カ月半いたけどそういえば今回はいつにも増してローカルだったな~と今になって思うわ。

ちょっとしょっぱかったけど久しぶりなのでガツガツ食べ・・・うん、私やっぱり食事は断然南派(^-^)

その足で今度はラクシュマンジュラのLASSI BARに行きマンゴーラッシーを飲み・・・
ここのラッシーは素晴らしいよ♡
ほどほどに冷えていて、フルーツの果肉もゴロっと入っていて、上にはナッツやレーズンをトッピングしてくれるの♡
木のスプーンもお洒落で店内も扇風機で涼しい。
これで50ルピーなんて♪♪
すでに2連チャンで通っているけど、全種類制覇するまできっと毎日通うと思う♡
残すはバナナラッシー、スイートラッシー、チョコレートラッシー、クリーミーラッシー。

そして更に帰り道、どローカルのクルフィー。アルミの逆三角の中に棒を突っ込んで甘ーいミルクを固めてあるような、屋台で10ルピーのやつを買って食べた。

インド人かよ?!

と自分で思った(^ ^;;


とにかくなんだか疲れて疲れて・・・相当大量に歩いてると思う。

あ、全然タイトルと内容が外れてた!!(笑)

そう、でもこんな不便な感じのインドが私のインドのすべてだったんだ、最初は。
これがインドだと思ってた。

すごい不便だけど何だかものすごく心惹かれたんだ。

そして今の私がいる。

 

2015年4月16日木曜日

ぶっきらぼうだけど愛がある北インド人

只今リシケシです。

リシケシは私の初めてのインドで訪れた場所。
2009年と2010年のインドの思い出はすべてここにある。

私のインドはここから始まった。

5年ぶりに戻ってきました。

デリーからリシケシ行きのバスに乗った時、
Bumpy過ぎる道、砂埃で顔も髪の毛もじゃりじゃりになる空気、そこかしこでする便所臭、
人々が吐く赤い液体(何なの?これ)・・・

あ~そういえばこんな感じだったな~。
大丈夫かな?私、北インド・・・

南インドのフレンドリーな感じや汚くないインドに慣れきってたので、

すぐ帰りたいかも・・・

という思いがよぎったりもした。


バスのドライバーの運転は荒っぽ過ぎて乗客からブーイングの嵐。
私も何度も1mくらい飛び上がり疲労困憊。

途中から大雨雷の本当の嵐になりバスは雨漏り。
大丈夫かしら~ん・・・と少し不安になるものの・・・・・

今回のインド旅はいちいちツイているので大丈夫という確信もあり、
必ず誰かが助けてくれる。
一言声をかけるだけで必ずインド人が面倒見てくれるのが今回のインドなのだ。

(今も大股開きでパソコンしてると甘いチャイが運ばれてきた。まるで姫♡)


北インド人は基本的にシャイなんだと思う。
自分から笑顔でおせっかいをやけないけれど、
こちらが困って話しかけると笑顔を見せて出来る限りのことをして助けてくれようとする。

道を尋ねてもそう。雨宿りをさせてもらってもそう。
不器用だけど気持ちのあるその感じと出会うと何だか胸がキュンとする。


ラクシュマンジュラとラムジュラの距離感とかも忘れてしまって、待ち合わせ場所の距離がつかめず、きっと不安気に歩いてたんだと思う。
乗合オートのおっちゃんが空っぽのオートで走ってきた。

私を見て運転席の隣りの空いてるスペースをバンバンと叩いた。
「乗れ」と目で合図をする。

いくら?と訊くと
「いらねーよ。早く乗れ。」と目で合図をする。

キュンっ!
(ちなみにヒンディ語の「どうして?」の意味ではなくハートが鳴いてる音。念のため)

帰り道。またラムジュラからラクシュマンジュラ方面に重たい荷物を抱えてフラフラ歩いていると、また違うぶっきらぼうなおっちゃんが自分の隣りに乗せてくれた。

キュンっ!

ただの小汚いおっちゃんにキュンキュン言いっぱなしの私(笑)


ここら辺をその気になって練り歩いてる欧米人よりもインド人の方が人への思いやりはたくさん持っている。
 

2015年4月12日日曜日

その人の手

コーチンにてしばし沈没中のワタクシでございます。

いよいよ明日の14時にはここを離れなければなりません。
また10時間ほど列車でバンガロールに戻り、そこから飛行機でいよいよ北に向かいます。

結構な金額をはらって飛行機の日程を変えてまでコーチンに来たのは、
前回のここでの経験がイリュージョンではないことをはっきりさせないといけないと思ったから。


ブログ上でも何回も言ってるし、過去記事でもあからさまですが、
私は突然ものすごいスピードで色恋に情熱を燃やす時がある。

自分のエネルギーが弱い時には自分で言うのもナンですが、
つまらない男に熱を上げて、感情を振り回されて、うかれたり、泣いたり、怒ったりしながら、
最後には「あいつは最低だった」という結果でやっぱり終わる(笑)
そんなアホみたいな数々も経験し・・・

でも自分のエネルギーがちゃんと中心にある時には、一生「いい男だ」と思い続けられる人と関係を構築することができる。
そんな人はこの人生で・・・3人かな?

今回の渡印で出会った南インド人のこの人は出会った瞬間に私にいい印象を与えた。

その印象は今も変わることなく、知れば知るほど特別な印象を私の胸に刻んでゆく。

たぶん私と彼とは前世とか・・・前世という表現が胡散臭ければ、何かこの宇宙のエネルギーの法則の中の何かでつながっていることは間違いがない、と思う。
だから私にとって彼が特別なだけではなくて、彼にとっても私は何か特別なようだ。

こういうことは美しい男女のラブストーリーの中でのみ起きることではなくて、
不細工なおばはんの身の上にもおこることなんだな(笑)

そう、だから私にとっては彼のすべてが特別なのは当たり前だとしても、

「彼の手」はある意味可哀想なくらい特別なのだ。


う~~~ん、このブログ上にどこまで書こうかなぁと考えながら書き進めていますが・・・

その人はセラピストで、初めて会った時に「この仕事は僕のカルマだと思ってやっている」という話を聞きました。
受け取り方によっては彼がセラピストであることも、カルマという言葉も胡散臭い。

アーユルヴェーダマッサージと言ったわけではないけれど、この辺りではアーユルヴェーダオイルを使ったマッサージが当たり前。
アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGなので、いつもの私なら考える余地もなく「この人はインチキ」という答えを出す。
※コヴァラムでも男性が女性に施術をしますが、かと言ってインチキというわけではありませんので悪しからず。

でもこの人はただただ穏やかにニコニコして話すだけなんだけど、どうしても何かを持っている気がしてその興味を切り離すことができなかった。

そしてマッサージを受けることにした。
人生で二度目の異性セラピスト。(一回目は「え?男がやるの?」という自分の選択ではない状況でそうなってしまった。@コヴァラム)

最初は全然心も体もオープンに出来なくて、要するに心の中ではその人にまだ疑いも持っていたので、そういうのは完全に体に出ているらしい。

私はその人が本物かどうかを頭の中で探っていた。
私もエステスクールやアーユルヴェーダセラピスト研修でマッサージのトレーニングを受けたので、手技や順番がどのくらい正確かはわかる。
その人の手技は「どこで学んだんですか?」というくらい素晴らしい。

その手が置かれるだけでその手が役割を持っているのがわかる。

彼はシーズンオフには毎年フランスに呼ばれるらしい。
だからなのかこの宿はフランス人が多く、彼はカタコトのフランス語を話したり、フランスの事を話しているのでこれも嘘ではない。

フランスにクライアントを持っていて、そこでセラピストとして数カ月間仕事をするそうだ。

私が「アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGでしょ?私は今まで絶対いやだと思っていたよ」と言うと、「僕のフランスのクライアントは全部女性だよ」といってただ笑った。

「ルールだから」という理由だけで何かを否定したり、自分の中にもそのルールを持ちこむなんてどれだけ不自由なんだ、いう意味の微笑みに見えた。


彼の手は私がまだ心を閉ざしていた時も、心の緊張をほどいたときも、その状態をキャッチしていた。
私が知る限り一番心にも身体にも効く施術をするセラピストだ。
こんなに完璧な施術だったら毎日お金払ってしてもらいたい。
なので彼の時間がある限り、ちゃんと予約をして今もマッサージを受けている。


「あなたの手は何なの?ちょっと見せて」

実際に私の手で触れる彼の手は堅くてゴワっとしている。
だけどその手はやっぱり手で触れても何かを感じる手だった。

「この手は神様からのギフトなのね?」
私がそう言うと、

「そうなんだ。だから僕はこの手を使って仕事をしなければいけない。
この手を使って人の苦しみや悲しみを取り除かなければいけない。
それが僕のカルマなんだ」

その手は神にもらった素晴らしいギフトだれど、
その手の持つ役割を果たすことに喜びを持ってその仕事を為している彼を見るのは何だかとても切なくもあった。。。


施術中に薄目を開けて彼を見る。

その姿はまるでブッダだった。
クルクル頭で腰巻姿のせいだけではなく(笑)
その伏し目の変わらない表情と、背筋を伸ばしてただただ施術に集中する姿。
全てが淡々と確実に行われる。


トリートメントと言うのは最終的に何がどのように治療されたのかが大切で、
イメージやルールや理論の世界ではない・・・と私は思う。思った・・・。

もし自分の中にこだわりや不要なルールや偏見や・・・そんなものをもっていたら、
私はいまだに癒されるという感覚や、リラックスするという感覚を知らずにいたと思う。


たくさん勉強して、たくさん知識をつけて、その知識の中でのみYES/NOを決める。
自分の中だけならまだしも、それに人を巻き込む。

それはとてもこわい世界だな、と今思う。

一番大切なのは外を見ることじゃなくて内を見ることなんだ。
うん、それは皆知っていると思う。
知っていてもやっぱり外を見て、自分の感覚じゃなくて、誰かの感覚を信じる。
だからいつまでたっても自分を解放できないし、自分の喜びを見つけることができない。


タイトルから話は大幅にズレていますが、
沈没中にこの辺りまで来ています(^-^)
毎日毎日私は変わってきていると言われます。

ここを離れて人生を教えてくれる先生が身近にいなくなっても、
なんとなく大丈夫な気がします。
う~~~ん、どうだろうな?
ま、いいや先の事は。