2015年8月27日木曜日

こんなミスをする私はダメ人間か?!

色んな経験をして、なんかもう人生を達観している人間だと思われるんだろうか?
色んな失敗をしてもゲラゲラ笑って、楽しく生きている人間だと思われるんだろうか?

理由はともかく、
心の中の苦しい事を打ち明けてくれる人は多い。
多い?・・・かわからないけど、結構な頻度で人と会ってそういう話をする。

そういう話を聞くことは、私自身にとってもものすごーく勉強になる。
私の中にある限りの・・・感覚と智慧を総動員して考える。言葉にする。

その人のためを思ってる言葉なのか、何なのかよくわからないけど、
でも思いは通じるようで、目に涙をいっぱい浮かべて、会えてよかった、と言ってくれたりする。
そして私も会えてよかったと心から思う。


人の身に起こることや、人の心に生じる思いについて考えているときは、無駄な感情が入らないせいか、ブッディがいい仕事をしてくれるが、こと自分の事となると・・・マインドは猿に成り下がる。。。


昨夜、バイトでミスをして、今でも何となく気持ちが晴れない。。。


バイトのミスです。

大きなプロジェクトでのミスとか・・・そんなカッコいいもんじゃありません。

フリーターとか、リストラされた人とか、なんでもいいからお金がもう少し欲しい人とか、
いやそんな人ばかりじゃなくてちゃんとした人もいるけどね、もちろん、
でもそんな人もごちゃまぜになって働いている、いわゆる誰でもできる仕事でミスをする私。。。

しかも2度目、または疑惑も含めて3度目(笑)

昨日のミスで疑惑も私だったということになってしまったでしょう。。。笑


どんなミスかはメンドクサイからここでは説明しませんが、

自分が初めてそれをやってしまうまでは
「そんなミスする人いるの?」っていうくらいバカみたいなミスで、
でもちょっとした不注意で起こりやすいミスなので、朝礼で毎日のように言われていること。


一度目は年末のアホみたいに忙しい時で、その時は「げっ!!そんなこと誰がやるのかと思ってたことを私がやってしまったーー!!」と、まぁ今後は二度とやらないように、ということで、仲間内では笑い話になったが。。。

二度目は「疑惑」でミスがミスとなる前に「これ、おかしいぞ?」と発見し、それは私の場所だけど、イヌイちゃんはいつもちゃんとやってるからたぶんあの人だと思う、ということになり。
(これは今でも私じゃないと思ってるけど)

そして昨夜の三度目。
今回も違う人が発見して未然に防げてはいるものの、たぶん私がミスしたんじゃないかと。。。
でもホント、夢遊病者かと思うほど全く記憶にない出来事。
「ミスっていうのはそういう時に起きるもんだよ」と言われ、まぁそういうもんなんでしょうが。。。

老人でもできることを、私はできない。

とつい落ち込む。

三度とも未遂なのでクビにはならないけど~。

「あの人は仕事が遅い」とか「あの人とはやりにくい」とか、
私は何を偉そうに考えていたんだ??と思うと、もうほんとに情けなくて・・・

つい落ち込む。


ダメ人間じゃん。
ダメ人間なのよ。
ダメ人間のくせに何を人のこと批判してるのよ。

と落ちこむ。


でもこれが自分自身のことじゃなかったら、
「あなたはあなたの良さがあるのよ~。それ発揮できることをできればそんな気持ちにならずに人の役に立てるよね~」って思うと思う。


だからたぶん私はダメ人間ではない。

でも心の持ち方を時々間違えて苦しむ。

小さいことに気づいて、一つずつ確実に整えていけばいい。
この人生は、この肉体を乗り換えることは出来ないし、
丁寧にいらないカバーを取り除いて、純粋に生きよう。


と、つまらないミスの話が壮大な魂に及んだところで・・・おしまい。


 

2015年8月17日月曜日

されどホルモン・・・

わかっているの・・・

わかっているんだけど毎月つらいのぉぉお・・・

いや、こんなツラさはツライうちに入らないくらいの程度のもんだけど、

基本いつも体調イイからちょっと怠いだけでテンション下がる甘ちゃんなワタシ。


毎月15日前後になると丸1日、ないしは1.5日くらいの「ジャンクフード祭り」が開催される。
私一人でね。


食べても食べてもまだ食べたい。
どうせ食べるなら美味しくて栄養価の高いものを食べればまだ救われるんだけど、
こういう時はあえてくだらないものにしか食指が動かない。

寿司屋の寿司より、スーパーの安い巻寿司が食べたい。
人気ベーカリーのパンより、フジパンの菓子パンが食べたい。

みたいな・・・

どれだけ異常事態発生かわかるよね??(笑)


ご飯食べても袋菓子が食べたい。
二袋くらいは楽勝。


完全に過食症じゃん?って思うよね?


でも、これは完全にホルモンの仕業だということがようやくわかりました。


コントロールのきかない欲望。
心とは関係ない部分で欲望が発生しているこの感じ。


オーストラリアのセラピーの先生に尋ねました、このこと。
女性の先生なので女性特有の身体のことをとてもよく理解している先生。

そしたらやっぱりこれはホルモンの影響で、ホルモンの力はとても強いのだと。
でも、それでも、この事態を小さくするためには日々の生活を大切にすること、それしかないと。


わかるわ。
私の日々の生活は仕事が夜遅いせいで、どうしても睡眠のサイクルが狂う。
ヴァータ体質の私にとって、睡眠の問題はほんと避けなきゃいけないのはわかっちゃいるが・・・
もう少しだけと、つい・・・ズルズルしている。
これが妙齢の私にとっては打撃が大きいのよね。


でも原因ははっきりしてるから、ベビースターラーメンどデカサイズを一袋と、ギンビスアスパラガス一袋とパウンドケーキ2切れを一度に食べてしまっても、そんな自分を許すの。
あ、これ昨日のワタシね。月一のひきこもりデー(笑)


というわけで、自分を責めないこと。大事よ~~~(^-^)
 

2015年8月16日日曜日

終戦記念日に思う「命」のこと

誰もがそうだと思うけど・・・

戦争 コワイ
戦争 ダイキライ

なのになぜか昔から戦争映画や戦争に関するTV番組をあえて選んで観るワタシ。

たいてい息をつくのも忘れて観ている。
そして重~~~~~い気持ちになって大きなため息をつく。

戦後70年ですから、
これまでに私もたくさんの残酷な映像を見て、たくさんの悲惨な話を知りました。

でもどれだけ見ても、どれだけ知っても、
いや見れば見るほど、知れば知るほど、
憤りは大きくなり、
感じることは毎度「教育」と「洗脳」の恐ろしさと、「命」の価値のこと。

戦争のさなか、
兵士の命は銃弾ほどの価値となり、
敵国で生きている人間の命は野原に生えている草ほどの価値となる。

戦争中は皆狂っている。
ということを踏まえて考えても

20歳そこそこの青年が国のために死にに行く???

罪のない者同士がどうして殺し合いをしなきゃいけない???

何のためになーーーーんにも関係ない人間が命を落とさなきゃいけない???

イノセントな人間ばかりが大きな力に操られて無駄死にし、地獄を味わう・・・

何度見ても戦争は地獄。
これが「地獄」というものだ、と思う。


今日観ていたTV番組で戦争で生き残った元兵士が言った言葉、
「死んだら二度と帰ってこれない」

当たり前のことだけでとても心に響いた。

本当に一度死んだら、もう二度とこの「私」の人生はやれない。
「私」は後にも先にもこの果て無き世界の唯一無二の存在なのだと思うと、
どんなにちっぽけでも、くだらなくても、
このインディヴィジュアリティは何があっても大切にしなきゃいけないんだと
今更だけど、強く強く思った。


昔から私はこんなに命のことを考えるくせに
自分の命については雑だったというか
病気になったり、自由のきかない体になってまで生きていたいとは思わないなぁ、なんて思っていた。
両親が「何が何でも長生きしなければっ!!!」みたいなこと言ってるの聞くと、
「何のために??!!!」なんて思ってた。

でもつい最近読み終えた本に
”人間は90歳を過ぎたころにようやく人生の意味がわかる”というようなことが書いてあって、
”人生を全うするという死に方は、ただ生きるのをやめるというように、できれば椅子に座った状態で、まさに生きるのをやめるだけ”というようなことを書いてあったのを読んで、
私もそうやって死のうと決め、長生きしてみるか、みたいな・・・そんな感じだったところで、

死んだら二度とこの私の人生には戻れないという思いが重なり、
また「命」の意味が少しだけ色を変えたように思う。

どんなことがあっても、もう戦争なんてしちゃいけないんだよ。
戦争体験者ももう90歳代になって、その貴重な生の体験談を聞けるのもタイムリミットが近くなっている。
今のうちに若い人たちにその地獄をたくさんつたえてほしい。

人が人を殺めるなんてことがあってはならないと、その地獄を伝えてほしい。
 

2015年7月21日火曜日

ありのままとは「在り方のまま」なのだね

流行にさえなった「ありのまま」という言葉。

私のブログのタイトルもarinomama。
練りに練ってつけたタイトルではなく、
実を言うと、その時に持っていた洋服屋さんでもらったバッグにたまたま並んでいた文字がarinomamaだっただけで・・・なんかカワイイなと思って勝手にパクってしまったという・・・すみません・・・。

でもたまたま「ありのまま」は私の生き方にピッタリだったから
arinomamaは私の周りの人達に愛されてきたブログであり言葉です(と思ってマス)。

♫ありの~ままの~♬ 
という歌が流行った時はなんとなく恐ろしかったけど・・・

ほら、日本って流行ると違う意味になって、そしてどんなにスタンダードなものでも古くなった感じになって捨てられるでしょ?

でもさすがに「ありのまま」は認識されて、その手のタイプの人達には大切に受け止められて、その手じゃないタイプの人達には意識からはずされ、また物質バリバリの世界に戻っていかれたよーですね。


今どうして「ありのまま」について改めて書いているかと言うと、
一カ月かかって読み終わった哲学の本(読みやすいはずの本なんだけど、寝る前に読んでたから何度も寝落ちし時間がかかった・笑)の最後の方に、思わずマーカーで線を引いたくらい「その通りだ」と思ったフレーズがあったから。

要約すると、

「青年期には欲望と憧れのために幸福に欠くことのできない平静を奪われるが、老年期にはそのような気持ちが鎮まり、かつては事物に対するとらわれのないありのままの見方を隠ぺい歪曲していた錯覚や幻影や偏見を脱却して、全てのものを以前よりも正しく認識し、その在り方のままに認めることができる」

という・・・私にとってのテーマの集結みたいな文章。


たまたまarinomamaにしたと申し上げましたが、
私の生き方はずっとここを目指していて、
「ありのまま」をこの本の中でみつけた「在り方のまま」とすると、もっとピッタリと私の好みになる。

この世の中もその在り方のままを見たいと思う。

それが恐ろしいものなら恐ろしいように、それが美しいなら美しいように。

人もそう。在り方が大切。
その人の本質がどうであるかが大切。

説明するまでもないと思うけど、

悪魔のような姿がありのままの私なの。だから♬ありの~ままの~姿見せる~のよ~♬♫って、悪魔のような姿を見せてくれる人はほとんどいない。

ありのままのフリをしたありのままじゃない人、こわいよ~(笑)
フリもせずでたらめの人の方がまだマシだよ(笑)

悪いけど、セルフブランディングとかゲロ吐いちゃう。
いらな~い。
作られたものより、本当の姿が知りたいわ~。

な~んて言ってるから、ピッタリくるものはホント少ない私です(^ ^;;

でもこうしてピッタリくる本に出会えるように、
本当に偶然に(いや必然なのかもしれないけど)ピッタリくる師に出会えたり、
ピッタリくる人に出会えたりするから、

ワタシこれからもこのままのスタイルで行くわ!!






 

2015年7月12日日曜日

愛なのか?ただ感覚器官の欲望なのか?

私たちの欲望というのは・・・

そっか・・・感覚器官の欲望なのか。

きっと今までにも聞いたり読んだりしていたんだろうけど、
初めて自分の欲望に当てはめてみたんだろうか?
今回Truptaに同行して彼が説明する感覚器官の話を聞きながら、頭だか心だかにガッツリと入った。

ガッツリと入ったというのは完璧に理解したという意味ではない。
わかった、と思ってもまた混乱してしまうのが私でアル。。。

このガッツリは「これやりたい」とか「これやりたくない」とか思った時に「どうして?」って考える、っていう程度だけどね。
それは何の欲求?感覚器官の欲望なんじゃない?それとも魂からきてる?とか考えちゃうっていう・・・。

そんな折、3日ほど前にヨーガセラピー講座を受講した際

「マインドとは何ですか?」

・・・ん~、マインドとは・・・と私なりに頭の中で答えを導き出していた時

「マインドとは感覚器官の欲望です」と言われ・・・

うむむ。。。
Truptaが来日中に考えていた「私が愛だと思っていたこの想いは本当に愛なんだろうか?もしかするとただの感覚器官の欲望なのでは?」という疑問に、
「しかも愛とはマインドとも違うわけね」という、またなんだか違う角度からの理解が加わったり。。。

ちょっとconfused...

まあね、確かに愛とは不思議な感情だよね、っていうかそもそも感情か?

Advanced emotionのカテゴリーに入ってるな・・・
Composed of Joy + Trust だって。その通りだな・・・


そう、なぜあんなに「愛してる♡」なんて思い込んでいたのに「いや、待てよ・・・」と思ったのかというと、このTrustがグラつく時なんだよね。
所詮私とmy raja jiの関係なんてほんの数日間のことで、普通に考えたらいまだに続いてることの方がビックリなんだけど、まぁ世の中の「普通」っていう定義もワケわかんないし・・・
自分の身の上に起こっていることを信じるだけなんだけど。

ある時あることがきっかけで「この人こんなことする時間があるくせに私にはメールもくれなかった」みたいなつまんないことで、今まで信じていたことさえ嘘だったように思ったことがあった。

何がどうであれ私が彼の事を信じられなかったことが一番の問題で、彼が実際にどうであるかはここでは問題ではない。私の愛が本物じゃないなら彼がどうであっても問題にはならないわけだから。


彼を見たい、声が聴きたい、話したい、匂いを嗅ぎたい(あるよね、これも^^)、触れたい・・・

まんま五感だよね?これ。笑

でも普通こうだよね?誰かを好きになると。

でもでも「愛」と呼ぶからにはここに違う要素が加わるのよね、きっと。
それは・・・。


私、Truptaに言ったのね。
「私、自分の愛はただの五感の欲望じゃないかって思う時があるのね。」って。

そしたらTruptaは
「愛とはcaring とsharingだ」と言い、

そ、それはウチのraja jiが韻を踏む「caring sharing respecting」と同じではないかっ!(笑)
と思ってちょっと笑えてしまったんだけど、Truptaが言うとそれはとても重みがある。
韻を踏んでる、とか茶化すような言葉には聞こえません(笑)

気遣い、分かちあうもの。か・・・。


「じゃあこんな場合は?」と私は例を挙げた。

男の人には奥さんがいて子供もいて、その人は家族に対しての責任としてちゃんといい夫と父親をしている。でも他に愛している女の人がいて、その人と一緒にいたいと言う。

うん、インドは親の決めた人とか占星術で結婚したりするから、結婚した後にそんな出会いがある場合もある。でも離婚もまだ欧米のように簡単なわけではないし、簡単なことではないね。


う~ん、それ実は私のことなんだけどね、と言うとTruptaは疲れているはずなのに、ちゃんとソファに座り直して親身になった。

どうしてこんなにいつも優しいのだ???
母親の年齢に近い女のバカな恋愛話をこんな真剣に聞いてくれるなんて(泣)

いやいやバカっぽいけど別にバカな恋愛話じゃなくて真剣な話だもんね!(笑)


感覚器官の話からズレちゃうので簡単に結論を言うと、

「マユミに愛してると言いながら、彼の妻にも愛してると言ってちやほやしているとしたら彼はただのassholeだ」と。

「彼はとてもクリアだ。後はマユミが強くあればいいだけだ。二人の関係が今後どんなふうになったとしてもマユミが傷つかないならどんな選択もOK。とにかく強くあること!」と。


よく恋愛話をする友人とは何かちょっとしたことがあると
「アスホール率高くない?」と
お気に入りのフレーズになっています(笑)


というわけで、私はとっても冷静に自分たちの関係を眺めています。
いつまで続くのか・・・再会の日があるのか・・・
自分の感情を追いかけるのも、こんな出会いや繋がりは実際どうにか進展するのか?とか、
色んなことが面白い。

ふと気づけば「人生は苦しくて当たり前」とか思い続けてきたのに
「人生はまったく面白い」になっている自分に最近気づいた。

はぁ、話はズレズレだし長くなったな。。。






 

2015年7月4日土曜日

アヒンサーから

Truptaの来日中に決めたこと。

「残りの人生はヨーガプラクティスに専念してみよ」

ってこと。

今のところこんな感じの向き合い方。
やってみよう、って感じ。
耳障りは軽いけど、内容は深いよ。
残りの人生ってことは死ぬまでってことだからね。

もう私なりに実践してるよ。
タパス。
これもヨーガだ。一度決めたらやり抜くのだ。

前から言ってたことだけど、いくら知識があったって、実践しなければ何も起こらない。何も変わらない。

実践してるつもりでも、いや本気で実践してても…それでも実際はつもり程度に過ぎないかもしれないくらい…ヨーガは深い。

ヨーガと出会って6年くらいかな?
私なりに取り組んできたつもりだったけど、理解が甘い部分や勘違いがあったり、つまらない欲や、虚栄心、恐れetcがあって、あるラインから前に進まないっていうか、結局何かコトが起これば同じように苦しんでたよな。

っていうか、ちゃんと正しいプラクティスが出来てないからコトが起きてしまう、っていうこと。

大抵の「コト」は自分にとって「コト」なだけで、別の人のマインドが
捉えれば全然意味の違うコトとして捉えられ、ましてやエネルギーレベルで考えればコトでもなんでもなかったりもする。

6月の2週間をTruptaと過ごして、
しかも日本で過ごして、
彼が日頃どんな風に時間や人や出来事を捉えているんだろう?ということを、頭ではなく、え~とこれはどこだろうな?感覚というのでもなく、なんつーか私の生命を支えているどこかがキャッチした。

これは私にとってすごいギフトだった。

私が「これからどうしようかな~」みたいなことを言った時、
彼は普通な調子で「ヨーガプラクティスをしなよ」と言った。
「アーサナのことじゃないよ。もちろんアーサナもすればいいけど僕
の言ってるのはヤマニヤマやプラーナヤーマやメディテーションのことだ」と。

僕も徐々に仕事の時間を減らそうと思ってるんだよ。
もっと自分自身のプラクティスをしたい。必要なんだ。
僕だってまだヤマニヤマさえ完璧ではないんだよ。


私はこういう彼の人間性が大好きで、これだから100%信頼しているのです。

そして私は決めたのです!

アヒンサーから始めよう!!

だって彼がヤマニヤマもまだだと言うのなら、私は間違いなくアヒンサーレベルだよ。
私、毎日誰かしらのことを少なくとも思考レベルで傷つけてるもん。自慢じゃないけどさ(笑)


ヤマニヤマと同時に他のプラクティスの時間も優先的に取っている。
ヨーガプラクティスに時間を使うことが出来ることに今とても感謝が出来て、今後の人生もヨーガプラクティスを中心に生活出来るようにしていこう、と決めた。

ちゃんと専念したらどんな風に変化するんだろう、っていうのが楽しみ!
これは来世の楽しみでもある(笑)

そして何よりも今幸せなのはその結果よりもプロセスそのものが充実してるってことだな。

結果にコミットする!とか言ってる時代に逆らってて悪いけどさ(笑)


がっちり心が定まると楽だな~。
Truptaは私にとってその存在だけでたくさんのことを教えてくれる師。

出会いをくれた何かに感謝☆

2015年6月29日月曜日

Truptaが日本にいた14日間

Truptaがインドに帰って12日がたった。
毎日毎日Trutaが日本にいた14日間の日々を反芻している。

記憶が新鮮なうちに、日々絶え間なく感じていた色々なこと、書いておこうと思うんだけど、なんだか落ち着いた時間ってなかなかないもんで。


Truptaが来る前、不思議と何も考えてなかった。
ま、しがないフリーターなもんでアルバイトと準備の両立だけでいっぱいいっぱいで余計な心配してる暇がなかっただけかもしれないけど、心配ってほんと「余計なこと」だからヨカッタと今つくづく思うワ。

2012年1月の初め、たまたまコヴァラムでTruptaの朝のヨーガクラスを受けた。
そして3年半後、Truptaが日本に来た…。

すごくね~か、これ?(笑)

これ何度も人に話してると思うんだけど、
Truptaの透明感は特別で、最初の頃そのキラキラした感じがあまりにもいつもリアルなので、「体毛が金髪で光に反射してるのか?」(髪が黒いんだからそんなわけないんだケド)と本気でチェックしたくらいの…

そして「この人の体の中にすっぽり入ってみたいな」って思ったくらいキレイだった。そしてそれは今も少しも変わらない。


この感じを言葉で説明してもイマイチその特別さや感動は伝わらないに決まってる。だけど私が探しているもの、求めているもの、本物だと思うもの、その感覚が同じ人、少なくとも似ている人には絶対彼を見て欲しかった。会ってほしかった。
で、実際に感じて欲しかった。

そう思ってから、ちょびちょびとSamyak Yoga Japanの活動をしてきて、でもヨガ界で生きてきていない私にはビジネスとして成り立たせるのは難しくてSamyakチームには心配ばかりさせてきたと思う。

ヨーガアライアンス認定校になってから、ものすごい勢いで成長したSamyak Yoga。なのに、いつまでも「世界に出るきっかけとなったのはマユミだった」といって、こんなチンチクリンなただの日本人のおばちゃんを仲間として大切にしてくれるSamyakの懐の大きさには…言葉がないよ。


あれ?前置き長すぎて全然来日中の14日間のことに入っていけないけど(笑)

じゃあ、まずはこのことを書きたい。

Truptaはとっても柔軟な人。
Trupta本人も世の中の色々なことを頭から否定したり、盲信したりしないで、体験してから判断する。
その上で更に人の話を聞く時も、自分の考えは「単なる自分の考え」として決して人に押しつけないけど、必ず自分の考えは言う人。

今回はこんなハードスケジュールだったのに、私のつまらん質問や、プライベートのアホな質問にもほんといつもちゃんと応えてくれてた。
このブログ読んでくださってる方にはそれがどれだけアホなことか、想像ついちゃうよね?(笑)
しかもつまんない通り一遍の答えじゃないところがグッとくる。

ぁ、時間ないから一回締めとこ。

今回の来日プログラムに参加してくださった方の大部分の方が、私の伝えたかったことを感じてくださった、という手応えはあったかな。
全体的にはまだまだ課題はたくさんあるけれど、それだけはよかった!

ひとまずおしまい。