コーチンにてしばし沈没中のワタクシでございます。
いよいよ明日の14時にはここを離れなければなりません。
また10時間ほど列車でバンガロールに戻り、そこから飛行機でいよいよ北に向かいます。
結構な金額をはらって飛行機の日程を変えてまでコーチンに来たのは、
前回のここでの経験がイリュージョンではないことをはっきりさせないといけないと思ったから。
ブログ上でも何回も言ってるし、過去記事でもあからさまですが、
私は突然ものすごいスピードで色恋に情熱を燃やす時がある。
自分のエネルギーが弱い時には自分で言うのもナンですが、
つまらない男に熱を上げて、感情を振り回されて、うかれたり、泣いたり、怒ったりしながら、
最後には「あいつは最低だった」という結果でやっぱり終わる(笑)
そんなアホみたいな数々も経験し・・・
でも自分のエネルギーがちゃんと中心にある時には、一生「いい男だ」と思い続けられる人と関係を構築することができる。
そんな人はこの人生で・・・3人かな?
今回の渡印で出会った南インド人のこの人は出会った瞬間に私にいい印象を与えた。
その印象は今も変わることなく、知れば知るほど特別な印象を私の胸に刻んでゆく。
たぶん私と彼とは前世とか・・・前世という表現が胡散臭ければ、何かこの宇宙のエネルギーの法則の中の何かでつながっていることは間違いがない、と思う。
だから私にとって彼が特別なだけではなくて、彼にとっても私は何か特別なようだ。
こういうことは美しい男女のラブストーリーの中でのみ起きることではなくて、
不細工なおばはんの身の上にもおこることなんだな(笑)
そう、だから私にとっては彼のすべてが特別なのは当たり前だとしても、
「彼の手」はある意味可哀想なくらい特別なのだ。
う~~~ん、このブログ上にどこまで書こうかなぁと考えながら書き進めていますが・・・
その人はセラピストで、初めて会った時に「この仕事は僕のカルマだと思ってやっている」という話を聞きました。
受け取り方によっては彼がセラピストであることも、カルマという言葉も胡散臭い。
アーユルヴェーダマッサージと言ったわけではないけれど、この辺りではアーユルヴェーダオイルを使ったマッサージが当たり前。
アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGなので、いつもの私なら考える余地もなく「この人はインチキ」という答えを出す。
※コヴァラムでも男性が女性に施術をしますが、かと言ってインチキというわけではありませんので悪しからず。
でもこの人はただただ穏やかにニコニコして話すだけなんだけど、どうしても何かを持っている気がしてその興味を切り離すことができなかった。
そしてマッサージを受けることにした。
人生で二度目の異性セラピスト。(一回目は「え?男がやるの?」という自分の選択ではない状況でそうなってしまった。@コヴァラム)
最初は全然心も体もオープンに出来なくて、要するに心の中ではその人にまだ疑いも持っていたので、そういうのは完全に体に出ているらしい。
私はその人が本物かどうかを頭の中で探っていた。
私もエステスクールやアーユルヴェーダセラピスト研修でマッサージのトレーニングを受けたので、手技や順番がどのくらい正確かはわかる。
その人の手技は「どこで学んだんですか?」というくらい素晴らしい。
その手が置かれるだけでその手が役割を持っているのがわかる。
彼はシーズンオフには毎年フランスに呼ばれるらしい。
だからなのかこの宿はフランス人が多く、彼はカタコトのフランス語を話したり、フランスの事を話しているのでこれも嘘ではない。
フランスにクライアントを持っていて、そこでセラピストとして数カ月間仕事をするそうだ。
私が「アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGでしょ?私は今まで絶対いやだと思っていたよ」と言うと、「僕のフランスのクライアントは全部女性だよ」といってただ笑った。
「ルールだから」という理由だけで何かを否定したり、自分の中にもそのルールを持ちこむなんてどれだけ不自由なんだ、いう意味の微笑みに見えた。
彼の手は私がまだ心を閉ざしていた時も、心の緊張をほどいたときも、その状態をキャッチしていた。
私が知る限り一番心にも身体にも効く施術をするセラピストだ。
こんなに完璧な施術だったら毎日お金払ってしてもらいたい。
なので彼の時間がある限り、ちゃんと予約をして今もマッサージを受けている。
「あなたの手は何なの?ちょっと見せて」
実際に私の手で触れる彼の手は堅くてゴワっとしている。
だけどその手はやっぱり手で触れても何かを感じる手だった。
「この手は神様からのギフトなのね?」
私がそう言うと、
「そうなんだ。だから僕はこの手を使って仕事をしなければいけない。
この手を使って人の苦しみや悲しみを取り除かなければいけない。
それが僕のカルマなんだ」
その手は神にもらった素晴らしいギフトだれど、
その手の持つ役割を果たすことに喜びを持ってその仕事を為している彼を見るのは何だかとても切なくもあった。。。
施術中に薄目を開けて彼を見る。
その姿はまるでブッダだった。
クルクル頭で腰巻姿のせいだけではなく(笑)
その伏し目の変わらない表情と、背筋を伸ばしてただただ施術に集中する姿。
全てが淡々と確実に行われる。
トリートメントと言うのは最終的に何がどのように治療されたのかが大切で、
イメージやルールや理論の世界ではない・・・と私は思う。思った・・・。
もし自分の中にこだわりや不要なルールや偏見や・・・そんなものをもっていたら、
私はいまだに癒されるという感覚や、リラックスするという感覚を知らずにいたと思う。
たくさん勉強して、たくさん知識をつけて、その知識の中でのみYES/NOを決める。
自分の中だけならまだしも、それに人を巻き込む。
それはとてもこわい世界だな、と今思う。
一番大切なのは外を見ることじゃなくて内を見ることなんだ。
うん、それは皆知っていると思う。
知っていてもやっぱり外を見て、自分の感覚じゃなくて、誰かの感覚を信じる。
だからいつまでたっても自分を解放できないし、自分の喜びを見つけることができない。
タイトルから話は大幅にズレていますが、
沈没中にこの辺りまで来ています(^-^)
毎日毎日私は変わってきていると言われます。
ここを離れて人生を教えてくれる先生が身近にいなくなっても、
なんとなく大丈夫な気がします。
う~~~ん、どうだろうな?
ま、いいや先の事は。
いよいよ明日の14時にはここを離れなければなりません。
また10時間ほど列車でバンガロールに戻り、そこから飛行機でいよいよ北に向かいます。
結構な金額をはらって飛行機の日程を変えてまでコーチンに来たのは、
前回のここでの経験がイリュージョンではないことをはっきりさせないといけないと思ったから。
ブログ上でも何回も言ってるし、過去記事でもあからさまですが、
私は突然ものすごいスピードで色恋に情熱を燃やす時がある。
自分のエネルギーが弱い時には自分で言うのもナンですが、
つまらない男に熱を上げて、感情を振り回されて、うかれたり、泣いたり、怒ったりしながら、
最後には「あいつは最低だった」という結果でやっぱり終わる(笑)
そんなアホみたいな数々も経験し・・・
でも自分のエネルギーがちゃんと中心にある時には、一生「いい男だ」と思い続けられる人と関係を構築することができる。
そんな人はこの人生で・・・3人かな?
今回の渡印で出会った南インド人のこの人は出会った瞬間に私にいい印象を与えた。
その印象は今も変わることなく、知れば知るほど特別な印象を私の胸に刻んでゆく。
たぶん私と彼とは前世とか・・・前世という表現が胡散臭ければ、何かこの宇宙のエネルギーの法則の中の何かでつながっていることは間違いがない、と思う。
だから私にとって彼が特別なだけではなくて、彼にとっても私は何か特別なようだ。
こういうことは美しい男女のラブストーリーの中でのみ起きることではなくて、
不細工なおばはんの身の上にもおこることなんだな(笑)
そう、だから私にとっては彼のすべてが特別なのは当たり前だとしても、
「彼の手」はある意味可哀想なくらい特別なのだ。
う~~~ん、このブログ上にどこまで書こうかなぁと考えながら書き進めていますが・・・
その人はセラピストで、初めて会った時に「この仕事は僕のカルマだと思ってやっている」という話を聞きました。
受け取り方によっては彼がセラピストであることも、カルマという言葉も胡散臭い。
アーユルヴェーダマッサージと言ったわけではないけれど、この辺りではアーユルヴェーダオイルを使ったマッサージが当たり前。
アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGなので、いつもの私なら考える余地もなく「この人はインチキ」という答えを出す。
※コヴァラムでも男性が女性に施術をしますが、かと言ってインチキというわけではありませんので悪しからず。
でもこの人はただただ穏やかにニコニコして話すだけなんだけど、どうしても何かを持っている気がしてその興味を切り離すことができなかった。
そしてマッサージを受けることにした。
人生で二度目の異性セラピスト。(一回目は「え?男がやるの?」という自分の選択ではない状況でそうなってしまった。@コヴァラム)
最初は全然心も体もオープンに出来なくて、要するに心の中ではその人にまだ疑いも持っていたので、そういうのは完全に体に出ているらしい。
私はその人が本物かどうかを頭の中で探っていた。
私もエステスクールやアーユルヴェーダセラピスト研修でマッサージのトレーニングを受けたので、手技や順番がどのくらい正確かはわかる。
その人の手技は「どこで学んだんですか?」というくらい素晴らしい。
その手が置かれるだけでその手が役割を持っているのがわかる。
彼はシーズンオフには毎年フランスに呼ばれるらしい。
だからなのかこの宿はフランス人が多く、彼はカタコトのフランス語を話したり、フランスの事を話しているのでこれも嘘ではない。
フランスにクライアントを持っていて、そこでセラピストとして数カ月間仕事をするそうだ。
私が「アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGでしょ?私は今まで絶対いやだと思っていたよ」と言うと、「僕のフランスのクライアントは全部女性だよ」といってただ笑った。
「ルールだから」という理由だけで何かを否定したり、自分の中にもそのルールを持ちこむなんてどれだけ不自由なんだ、いう意味の微笑みに見えた。
彼の手は私がまだ心を閉ざしていた時も、心の緊張をほどいたときも、その状態をキャッチしていた。
私が知る限り一番心にも身体にも効く施術をするセラピストだ。
こんなに完璧な施術だったら毎日お金払ってしてもらいたい。
なので彼の時間がある限り、ちゃんと予約をして今もマッサージを受けている。
「あなたの手は何なの?ちょっと見せて」
実際に私の手で触れる彼の手は堅くてゴワっとしている。
だけどその手はやっぱり手で触れても何かを感じる手だった。
「この手は神様からのギフトなのね?」
私がそう言うと、
「そうなんだ。だから僕はこの手を使って仕事をしなければいけない。
この手を使って人の苦しみや悲しみを取り除かなければいけない。
それが僕のカルマなんだ」
その手は神にもらった素晴らしいギフトだれど、
その手の持つ役割を果たすことに喜びを持ってその仕事を為している彼を見るのは何だかとても切なくもあった。。。
施術中に薄目を開けて彼を見る。
その姿はまるでブッダだった。
クルクル頭で腰巻姿のせいだけではなく(笑)
その伏し目の変わらない表情と、背筋を伸ばしてただただ施術に集中する姿。
全てが淡々と確実に行われる。
トリートメントと言うのは最終的に何がどのように治療されたのかが大切で、
イメージやルールや理論の世界ではない・・・と私は思う。思った・・・。
もし自分の中にこだわりや不要なルールや偏見や・・・そんなものをもっていたら、
私はいまだに癒されるという感覚や、リラックスするという感覚を知らずにいたと思う。
たくさん勉強して、たくさん知識をつけて、その知識の中でのみYES/NOを決める。
自分の中だけならまだしも、それに人を巻き込む。
それはとてもこわい世界だな、と今思う。
一番大切なのは外を見ることじゃなくて内を見ることなんだ。
うん、それは皆知っていると思う。
知っていてもやっぱり外を見て、自分の感覚じゃなくて、誰かの感覚を信じる。
だからいつまでたっても自分を解放できないし、自分の喜びを見つけることができない。
タイトルから話は大幅にズレていますが、
沈没中にこの辺りまで来ています(^-^)
毎日毎日私は変わってきていると言われます。
ここを離れて人生を教えてくれる先生が身近にいなくなっても、
なんとなく大丈夫な気がします。
う~~~ん、どうだろうな?
ま、いいや先の事は。
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