2015年4月26日日曜日

今日は一カ月記念日

ボーディングタイムまであと50分くらい。
書き終わる頃にはきっと間近になっていると思うけど。

インドを離れるその時まで考えているのはRaja jiのこと♡

私たちはよくRaja ji、Rani jiと呼び合っている。キング&クイーンである。
自分たち以外にとってはアホらしくて聞いてられないと思いマスガ(笑)

びっくりしちゃうことに私たちは知り合ったその日から一日も欠かさず言葉を交わしている。
一緒にいるか、電話をするか、スカイプするか。

私、電話もスカイプも基本大っ嫌いなのに。笑

彼から電話がくるとチョ~嬉しいし、わたしからもしちゃうよ♪普通ありえないよ(笑)

スカイプで久しぶりに動く彼の姿を見た時には
「だめだ~完全に全部が好きだ~」
と思った。笑

たった一カ月間。30日間。
だけどその間には
「普通こんなことあるかっ?!!!」
ってこともあった。

またしても「私の人生の脚本書いてんの誰よっ?!」ってくらいのあり得なさ。笑

でも私たちは何も嘘も隠すこともせず、真正面から向き合った。
私はそこで自分の気持ちを確認し、彼もそこで私への思いを確認したと思う。

色んなことを話した。
つじつまの合わないことは今一つもない。

過去の色んな経験から自分のことも彼のこともなかなか信用できなかったけど、
こんなこともあるんだね~。


今日の14時、インドで話せる最後のタイミングだからスカイプで話そう!って昨夜約束して、
14時にスカイプにメッセージが入った。

「今日はすごく忙しくなってしまった。いとこが亡くなったんだ。でも14時って約束したから今ちょっと抜け出してきた。。。ちゃんと話す時間がなくなってしまって本当にごめんね。」って。

約束を守る男。最高だ(^o^)

とにかく彼は最高だ(笑)

エアポートに向かうタクシーでモバイルにメッセージが一言入った。

「神様に感謝する」って。


ちょうど一カ月前の3月26日に私たちは出会った。
そこらに転がりすぎているような出会いがこんな風になった。

これからどんなふうになるのかは神のみぞ知る。

ではない。

私たちが作る。

私が作る。

作りたいように作れる。

それが人生なのだ。

日本に帰っても続きはあるのだ♡

ドキドキしながらインドを去ります

あと数十分でタクシーのお迎えがきます。

そしたらそれに乗ってエアポートに向かいインドを離れます。


いつものこと。
10回目のインドだから10回そんな風にしてインドを発ったはず。

なのになんで今こんなにドキドキしちゃうんだろう。



はぁ~最高だった~。
いつも何にもがんばってなかったけど、
思い残すことはないなぁ~。

なんかフワフワあっちこっちに行って、
いっさいのこだわりを捨てて、
人が何かしてくれるのを受け入れながら
だんだん心が自由になるのを感じて・・・・・

気がついたらずいぶんすっきりしていた。

今まで頑なに持ち続けていたどうでもいいもの「自分」、これをエゴというのだな、たぶん。
面と向かってそれを捨てなさいと言われ、
自分でもこれは不要だなと思えたから捨てれる分だけ捨てた。

まだまだ持ってるけどね(笑)

でもそしたらその空いたスペースになにかすごく価値あるものが入ってきた気がする。


よく言うよね。何かを手離すと次のモノがやってくるって。


今までやってきたことをカタチにしないとダメ、って思ってたし、
家族もそれを期待していると思って肩身が狭かったし、
それができない自分をめちゃめちゃダメなヤツだと軽蔑していた。

でも「もう一回生まれ変わればいいじゃん。」ってなんでもないことのように言ってくれる人がいる。

50歳がどうかしたの?何歳まで生きるかわかんないじゃん。
今からだって少しずつやればいいんだよ、って言ってくれる人がいる。

これから少しずつプランをたてようよって言ってくれる人がいる。


早く何とかしないといけないって、自分を苦しめてたのは自分だったんだね~。
誰のペースで生きようとしてたんだろね(笑)

インドは私にとってやっぱり「何か」なんだろうけど、もう全然こだわりも執着もない。
だけど私とインドのコンビネーションはやっぱり最高だと思う(笑)


ドキドキするのはきっと新しい人生の波にちゃんと乗るためだ。
知らず知らずにそんな心の準備をしているからドキドキするんだと思う。

私は私のチョイスで自分の人生をクリエイトする!!

昨日インド最終日にふさわしくそんな決心ができて、
はぁ~あと15分でタクシーに乗ります。

ありがとう!インド!

 

2015年4月25日土曜日

Samyak Yoga来日プログラムのご案内☆


ちょっとご案内させてくださいね~!

Samyak Yoga Trupta先生の来日が近づいてきましたよ~!

6月6日、7日のハタヨーガWS@燕Studio (もうすぐ定員です。ご検討中の方はお早めに)
6月8日~12日のアシュタンガヴィンヤサフロー5日間集中ティーチャートレーニングコース@湘南カリフォルニア

に引き続き、
6月13日(土) ロータスエイトさん東日本橋スタジオにて
「教典ハタヨーガプラディーピカーから学ぶ伝統的ハタヨーガの奥義」WSを開催します!

内容は以下のようになっています*****


13:00~14:30  伝統的ハタヨーガのアーサナプラクティス
14:30~15:45  ハタヨーガプラティーピカー概論
16:00~18:00  プラーナヤーマ&バンダについて理論と実践


ハタヨーガは人間の進化のあらゆる側面にフォーカスし、人々が至福へと向かうためにあみだされた古代から続くヨーガ実践法の一つです。

 

クリヤ(6つの浄化法)によって肉体の汚れを浄化し、アーサナで身体を安定させ、プラーナヤーマで生命エネルギーをバランスし、バンダとムドラーを通じてエネルギーの流れを調節します。

 

「ハタヨーガはすべてのヨーガへのはしごである」というヨーギの言葉があるように、ハタヨーガは現代のヨーガの基盤ともいえます。

 

ハタヨーガプラディーピカーは16世紀にスワートマーラーマ(Yogi Swatmarama)によって書かれたハタヨーガの教典です。

ハタヨーガの解説と行法が体系的に記されています。

 

ハタヨーガ実践の効果:

・クリヤで体内とナディスを浄化する

・アーサナによって身体の安定を作る

・プラーナヤーマによって身体と心のバランスをもたらす

・バンダとムドラーを通じてエネルギーを注ぎ込む

 

ワークショップ参加対象者:

※本ワークショップは主としてハタヨーガプラディーピカーで説かれている内容にフォーカスします

・伝統的なハタヨーガプラディーピカーの手法について学びたいインストラクターや生徒

・プラーナヤーマやバンダについてより深い練習法を探している方

・現代のストレスフルな生活に調和をもたらせたい方

 

通常のセッションではなかなか知ることのないハタヨーガの一部ですが、ハタヨーガを理解するためには大切な基礎知識です。「ハタヨーガとは何か」をわかりやすい説明で徹底的に理解するワークショップです。

 

セッション終了後はディスカッションの時間を設けます。

通訳さんが間に入り、先生に疑問点を直接質問していただけます。


詳細・お申込みはコチラ
http://www.lotus8.co.jp/workshop/1278-16774.html
 
********
 
少しファッションにもなってきているように感じられる近頃のヨーガ。
今一度ヨーガの本質をきちんと知ることがとても大切。
本質を知らなければいくらプラクティスをしてもそれはどこに到達するのでしょうか?
 
Trupta先生が日本のヨーギ・ヨギーニに認識される日を夢見てコーディネーターをしてきました。
 
これを読んでくださった皆さんにはこのチャンスを逃してほしくないです~~~!!
 
私のためでもSamyak Yogaのためでもなく、
みなさんご自身のために是非ご参加いただきたいと思います!!!

 

 
 


 




2015年4月21日火曜日

ジョーティシュリングをはずす

私の右手の指から遂に二つのジョーティシュリングが外れました。

薬指のルビー、ついで人差し指のイエローサファイヤ。
残るは小指のパール(シャンティのため)だけとなりましたが、
これも時間の問題と言われています。

初めてルビーのリングを外した一昨日、Mさんはその時私を見て涙ぐんだ。

指からも胸からもまゆみさんのエネルギーが溢れだした、と。


そして翌日の昨日、

「こっちもいらないよ」

と言われ外した。

ついでにマイソールでお坊さんに巻いてもらった紐(名前知らない)も「取っていいよ」と言われ、今日ガンガーに流してきた。


最初は「ダサっ!」と思ったジョーティシュリングも、さすがに6年も肌身離さずつけていれば分身のようになる。
なのに、外して物足りなさを感じたのはほんの数分間くらいなもんで、
なんだかもう苦しくてつけられない気がする。

気のせい?
思い込み?
なんかわからないけどエネルギーに敏感になることは悪いことじゃないと思う。

世俗(っていうのか?)には鈍感な方がいい、たぶん。
感覚を研ぎ澄ませてキャッチしなければいけない情報はfacebook上にはない(笑)

そんなのいちいち敏感になっていたらビョーキになるだけだ。


あ~、すっきりしちゃったな~、なんだか。
 

「魂」を理解する

先日ラムジュラのたもとでたまたま出会った日本人女性Mさんと3日間連続でデートした♡

彼女もまた私のターニングポイントに用意された人だったようだ。
彼女自身が私にそう言ったの。
鳥肌立つよね・・・

私たちは3日間たっくさん話をした。
私は自分の未熟な心の中を丸ごとさらけ出し、
彼女は終始にこやかにすごい宇宙の法則をたくさん教えてくれた。

昨日彼女を私がステイしているアーユルヴェーダDr.のところに連れて行って3人で話をした。

このカジュアルなシチュエーションで話せれる話の中身はどんなワークショップよりも私に学びのテーマとインパクトを与えた。
一万円出したってこんなワークショップ受けられないよ(笑)

ありがとう!神様!!(調子よすぎ^^;)

アートマ・・・わかってたつもりだったけど理解しきれてなかったな。ま、まだまだだけどね。

パラマートマ・・・そんなの聞いたことあったっけ??ブラフマンと違うの?それ?
  なんてアホなこと言っても、彼らは微動だにせずただ私に優しく説いて聞かせた。

Yogaとは・・・根本の根本の...一番大切なところ、2人は同じことを言った。
   「Unity」 それがヨーガ。ヨーガをするとは結合すること。一つになること。


私たちの魂は学びを重ねながら次の生、次の生へと移っていく。

今あちらの世界では早く生まれて学びたい魂の渋滞だという。
今この世界に肉体を持って生きている私たちは選ばれた魂だという。

魂たちは早く学びを終え、輪廻のサイクルから抜けたい。
だから早く生まれたい、ということ。

誕生待ちの魂が無くなった時がこの世界の終り。 だという。


前にテレビで太陽の光とhoneyだけで生きているという人を見た。
その時は特殊体質なんでしょ~とか思ってた。

でもヒマラヤにはそんな人がたくさんいるんだって。
太陽の光だけで生きている。
プラーナだけで生きている。

マジかっ!!と食いつく私にドクターは優しく言った。

彼らは前世、前々世...からヨーガをしているのだと。


Mさんは一日一食しか食事をしない。
一日の長い時間を瞑想に使う。
眠る時間も短い。
まったくそれで問題ないらしい。

1999年にヨーガ(=瞑想)を始めたと話す彼女にドクターは
「でも彼女が始めたのは実際は1999年ではないんだ。前の世からヨーガをしているから彼女にはそれが自然にできる」と。

ここに文字で表すのが難しいけれど、
この場でこの話を聞けたことに胸がいっぱいになる。

英語だから取りこぼしている言葉が多々あろうことは勿体ないけれど、
それでも今まで脳みその上を滑っていたことがここで刻まれたように思う。

私の準備が整ったのか?

いや期待するのはよそう。

だって私はそれでも私だもんね(笑)
 

2015年4月20日月曜日

聖なる地で改めて俗に目覚める

すっかり干からびて「おじさん」になってしまったかと思いきや、
いきなり「女」復活のワタクシ(笑)

この聖なるヒマラヤの地で男のことばかり考えている。
なんて俗なんだっ!!!(笑)

6年前初めて訪れたこの地リシケシで私は「聖なる」ことに目覚めた。

清いことが清々しく、私の中にあった純粋さが「これでいいのだ!!」と表に出てきた感じ。
自分で純粋とか言ってるのバカみたいだけど、
私をよく知ってる人ならわかる。
どんなに不良みたいなことしてても中身はアホほど純粋なのだ(笑)

極端な私はそれから完全なベジタリアンになってみたり、
日本で白装束の女になってみたり、
映画も見ないし音楽も聴かないしテレビも観ない人になってみたり・・・

極端に「そっち」の方ばかり見るようになった。

本もそんな本ばかり読んだ。(そのわりにはいまだに大した知識がない。頭がワルイ・笑)


最初は何でも楽しいのが相場。
だけど清い私自身に慣れてきて、なんだか少し人生が窮屈だった。
だけどそれにさえ気が付かなかった。
当たり前のことで苦しんでる、又は私の心が間違っているから苦しいんだって思った。


そんな極端な状態はだいぶ和らいでいたとはいえ,
今回のこのインド滞在まで「何かわからなさ」の中でモヤモヤしていたのだ。


なのに私が大きく変わったきっかけとなったこの地リシケシで
私はもうワンステップ自分の中に入ることができた!

今回トリバンドラムからインドに入って、リシケシにたどり着くまでに、
いろんな地でいろんな思いを経験した。

いろんな思いは私に・・・私の魂に、かな?・・・「私」を教えてくれた気がする。
私が私らしく自分の人生をエンジョイする方法。

その入り口に連れて来てくれた!


恋してると景色まで変わっちゃうじゃん。

ファンキーな音楽聴いてると何だってノリノリでできちゃうじゃん。

ちょっとお酒飲んでいい気分になったりするの、しあわせじゃん。


私の20代後半は酒とバラの日々だった・笑
恋ばっかりして、でも人生はノリノリだった。

その日々に戻りたいとか戻ろうとかそれが正しいとかはさすがに1ミリも思わないけれど、
私の本質はそこにもある。

そこにも。

そして「聖なる」場所にも。


バランスなんだ。

あ~一本気過ぎてこんな当たり前のことがうまくできなかった。


バランス。

これからの人生が急に楽しみになっちゃった♪
きっとバカなことするけど、それが私だから♪
私の人生をエンジョイしよう♪

リラックス&エンジョイ。


 

2015年4月17日金曜日

私のインドはここリシケシから始まったんだ・・・

今朝からタブレットが全く機能しなくなった・・・
wifiもキャッチしないし、写真まで撮れなくなった。さすがにショック。。。

要するに残り9日間のインド滞在は全く写真も撮れず、
もちろんfacebookやブログにも写真投稿ができないということ。

悲しい・・・

でも、ま、いっか。エッセイとかは文章だけだけどおもしろいもんね。
私エッセイ読むの大好き。
なので日々の思いは文字で残すことにしよう。


今朝は6時頃起きた。

リシケシは昼間は暑いけど朝晩は水を浴びれるような気温ではないので
バケツにお湯を作って行水をして、
軽くプラーナヤーマとアーサナをして、
ドクターが運んできてくれた甘いチャイを飲んで(北のチャイはやっぱ甘いな)
アールーポランタの朝食をいただいて・・・

まさに北インド!!な日々です。

蝿がいっぱいです。

あ~そういえばリシケシってこんなだったな~って
いちいち昔を振り返ってしまいます。

今はTapovan(ラクシマンジュラの近く)のアーユルヴェーダドクターのお宅でお世話になっているけれど、私が初めて滞在したリシケシはこんな素敵に旅行客向けにされた場所ではなくて、
あの最高にごちゃごちゃした人と車と牛と豚と・・・色んなものでごった返したサブジマンデーのすぐ近くだったのだ。

昨日は2つの橋の近くをウロウロしたけれど、今日はそのごちゃごちゃのリシケシの町まで行ってみた。
ギュウギュウ詰めの乗合オートから眺める景色で当時を思い出した。

今回もドクターが笑って話していたけれど、
私は初めて訪れる何もわからないインドで、一人自転車に乗ってかなりの距離を毎日クリニックまで通っていたのです。
そう、この橋・・・そういえば自転車で渡ったな~なんて思いながら。

まずはトリベニガートに行った。

初めてのガンガーはここだったから。

「ガンジス川に行きましょう」と言って連れてこられたこの場所。
ゆるやかに流れるグリーンの川。透き通った冷たい水。

テレビで観るヴァナラシのガンジス川しか知らなかったので「ぽか~ん」としたのを覚えている。

その場所に一人で行って、サンダルを脱いで、ゆっくりと足をガンガージーに浸した。

ひんやりとする
すーっとする

何かガンガージーに入る時の儀式があったような気がするけど忘れちゃったな~。

子供たちが物乞いに来る。
私は正直子供の物乞いにものすごく嫌な気持ちになっちゃうんだー。
外国人を見ると足元に絡みついていつまでもお金をくれと手を出している。
こんなことをさせている大人に無性に腹が立つのだ!
こんな小さな子供にそういう生き方を教える大人に腹がたつ!!

通じるわけないけど
「そうじゃないでしょ?違うでしょ?」と日本語で子供たちに言いながらお金はあげなかった。


今日はリシケシに到着して初めての晴れ。
南の湿った暑さとは違う、乾燥した暑さ。結構しんどいな、これ。
ってわけで、「そうだ!この辺りにリシケシ一美味しいラッシー屋があったはずだ!」
とテクテクテクテク歩いてみたけどついに見つからなかった(泣)

疲労困憊。
ゴールドジュエリーショップを見たかったけどあっさり諦めて、
ラムジュラに向かってオートに乗った。

とにかくこっちのオートは詰め込めるだけ詰め込むので、
隣りのお兄ちゃんと半ケツ状態。筋肉痛になるよ。。。とほほ。


ラムジュラではfacebookでおすすめされた「マドラスカフェ」に行ってみたよ。
wifiもけっこうサクサクと聞いたけれど、自分のタブレットそのものが壊れていてwifiがキャッチできないことをここで知って撃沈。。。

撃沈でも腹は減る。
久々のマサラドーサを注文した・・・っていうか私今回のインド、これが2度目のマサラドーサかも。
南に一カ月半いたけどそういえば今回はいつにも増してローカルだったな~と今になって思うわ。

ちょっとしょっぱかったけど久しぶりなのでガツガツ食べ・・・うん、私やっぱり食事は断然南派(^-^)

その足で今度はラクシュマンジュラのLASSI BARに行きマンゴーラッシーを飲み・・・
ここのラッシーは素晴らしいよ♡
ほどほどに冷えていて、フルーツの果肉もゴロっと入っていて、上にはナッツやレーズンをトッピングしてくれるの♡
木のスプーンもお洒落で店内も扇風機で涼しい。
これで50ルピーなんて♪♪
すでに2連チャンで通っているけど、全種類制覇するまできっと毎日通うと思う♡
残すはバナナラッシー、スイートラッシー、チョコレートラッシー、クリーミーラッシー。

そして更に帰り道、どローカルのクルフィー。アルミの逆三角の中に棒を突っ込んで甘ーいミルクを固めてあるような、屋台で10ルピーのやつを買って食べた。

インド人かよ?!

と自分で思った(^ ^;;


とにかくなんだか疲れて疲れて・・・相当大量に歩いてると思う。

あ、全然タイトルと内容が外れてた!!(笑)

そう、でもこんな不便な感じのインドが私のインドのすべてだったんだ、最初は。
これがインドだと思ってた。

すごい不便だけど何だかものすごく心惹かれたんだ。

そして今の私がいる。

 

2015年4月16日木曜日

ぶっきらぼうだけど愛がある北インド人

只今リシケシです。

リシケシは私の初めてのインドで訪れた場所。
2009年と2010年のインドの思い出はすべてここにある。

私のインドはここから始まった。

5年ぶりに戻ってきました。

デリーからリシケシ行きのバスに乗った時、
Bumpy過ぎる道、砂埃で顔も髪の毛もじゃりじゃりになる空気、そこかしこでする便所臭、
人々が吐く赤い液体(何なの?これ)・・・

あ~そういえばこんな感じだったな~。
大丈夫かな?私、北インド・・・

南インドのフレンドリーな感じや汚くないインドに慣れきってたので、

すぐ帰りたいかも・・・

という思いがよぎったりもした。


バスのドライバーの運転は荒っぽ過ぎて乗客からブーイングの嵐。
私も何度も1mくらい飛び上がり疲労困憊。

途中から大雨雷の本当の嵐になりバスは雨漏り。
大丈夫かしら~ん・・・と少し不安になるものの・・・・・

今回のインド旅はいちいちツイているので大丈夫という確信もあり、
必ず誰かが助けてくれる。
一言声をかけるだけで必ずインド人が面倒見てくれるのが今回のインドなのだ。

(今も大股開きでパソコンしてると甘いチャイが運ばれてきた。まるで姫♡)


北インド人は基本的にシャイなんだと思う。
自分から笑顔でおせっかいをやけないけれど、
こちらが困って話しかけると笑顔を見せて出来る限りのことをして助けてくれようとする。

道を尋ねてもそう。雨宿りをさせてもらってもそう。
不器用だけど気持ちのあるその感じと出会うと何だか胸がキュンとする。


ラクシュマンジュラとラムジュラの距離感とかも忘れてしまって、待ち合わせ場所の距離がつかめず、きっと不安気に歩いてたんだと思う。
乗合オートのおっちゃんが空っぽのオートで走ってきた。

私を見て運転席の隣りの空いてるスペースをバンバンと叩いた。
「乗れ」と目で合図をする。

いくら?と訊くと
「いらねーよ。早く乗れ。」と目で合図をする。

キュンっ!
(ちなみにヒンディ語の「どうして?」の意味ではなくハートが鳴いてる音。念のため)

帰り道。またラムジュラからラクシュマンジュラ方面に重たい荷物を抱えてフラフラ歩いていると、また違うぶっきらぼうなおっちゃんが自分の隣りに乗せてくれた。

キュンっ!

ただの小汚いおっちゃんにキュンキュン言いっぱなしの私(笑)


ここら辺をその気になって練り歩いてる欧米人よりもインド人の方が人への思いやりはたくさん持っている。
 

2015年4月12日日曜日

その人の手

コーチンにてしばし沈没中のワタクシでございます。

いよいよ明日の14時にはここを離れなければなりません。
また10時間ほど列車でバンガロールに戻り、そこから飛行機でいよいよ北に向かいます。

結構な金額をはらって飛行機の日程を変えてまでコーチンに来たのは、
前回のここでの経験がイリュージョンではないことをはっきりさせないといけないと思ったから。


ブログ上でも何回も言ってるし、過去記事でもあからさまですが、
私は突然ものすごいスピードで色恋に情熱を燃やす時がある。

自分のエネルギーが弱い時には自分で言うのもナンですが、
つまらない男に熱を上げて、感情を振り回されて、うかれたり、泣いたり、怒ったりしながら、
最後には「あいつは最低だった」という結果でやっぱり終わる(笑)
そんなアホみたいな数々も経験し・・・

でも自分のエネルギーがちゃんと中心にある時には、一生「いい男だ」と思い続けられる人と関係を構築することができる。
そんな人はこの人生で・・・3人かな?

今回の渡印で出会った南インド人のこの人は出会った瞬間に私にいい印象を与えた。

その印象は今も変わることなく、知れば知るほど特別な印象を私の胸に刻んでゆく。

たぶん私と彼とは前世とか・・・前世という表現が胡散臭ければ、何かこの宇宙のエネルギーの法則の中の何かでつながっていることは間違いがない、と思う。
だから私にとって彼が特別なだけではなくて、彼にとっても私は何か特別なようだ。

こういうことは美しい男女のラブストーリーの中でのみ起きることではなくて、
不細工なおばはんの身の上にもおこることなんだな(笑)

そう、だから私にとっては彼のすべてが特別なのは当たり前だとしても、

「彼の手」はある意味可哀想なくらい特別なのだ。


う~~~ん、このブログ上にどこまで書こうかなぁと考えながら書き進めていますが・・・

その人はセラピストで、初めて会った時に「この仕事は僕のカルマだと思ってやっている」という話を聞きました。
受け取り方によっては彼がセラピストであることも、カルマという言葉も胡散臭い。

アーユルヴェーダマッサージと言ったわけではないけれど、この辺りではアーユルヴェーダオイルを使ったマッサージが当たり前。
アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGなので、いつもの私なら考える余地もなく「この人はインチキ」という答えを出す。
※コヴァラムでも男性が女性に施術をしますが、かと言ってインチキというわけではありませんので悪しからず。

でもこの人はただただ穏やかにニコニコして話すだけなんだけど、どうしても何かを持っている気がしてその興味を切り離すことができなかった。

そしてマッサージを受けることにした。
人生で二度目の異性セラピスト。(一回目は「え?男がやるの?」という自分の選択ではない状況でそうなってしまった。@コヴァラム)

最初は全然心も体もオープンに出来なくて、要するに心の中ではその人にまだ疑いも持っていたので、そういうのは完全に体に出ているらしい。

私はその人が本物かどうかを頭の中で探っていた。
私もエステスクールやアーユルヴェーダセラピスト研修でマッサージのトレーニングを受けたので、手技や順番がどのくらい正確かはわかる。
その人の手技は「どこで学んだんですか?」というくらい素晴らしい。

その手が置かれるだけでその手が役割を持っているのがわかる。

彼はシーズンオフには毎年フランスに呼ばれるらしい。
だからなのかこの宿はフランス人が多く、彼はカタコトのフランス語を話したり、フランスの事を話しているのでこれも嘘ではない。

フランスにクライアントを持っていて、そこでセラピストとして数カ月間仕事をするそうだ。

私が「アーユルヴェーダは異性へのマッサージはNGでしょ?私は今まで絶対いやだと思っていたよ」と言うと、「僕のフランスのクライアントは全部女性だよ」といってただ笑った。

「ルールだから」という理由だけで何かを否定したり、自分の中にもそのルールを持ちこむなんてどれだけ不自由なんだ、いう意味の微笑みに見えた。


彼の手は私がまだ心を閉ざしていた時も、心の緊張をほどいたときも、その状態をキャッチしていた。
私が知る限り一番心にも身体にも効く施術をするセラピストだ。
こんなに完璧な施術だったら毎日お金払ってしてもらいたい。
なので彼の時間がある限り、ちゃんと予約をして今もマッサージを受けている。


「あなたの手は何なの?ちょっと見せて」

実際に私の手で触れる彼の手は堅くてゴワっとしている。
だけどその手はやっぱり手で触れても何かを感じる手だった。

「この手は神様からのギフトなのね?」
私がそう言うと、

「そうなんだ。だから僕はこの手を使って仕事をしなければいけない。
この手を使って人の苦しみや悲しみを取り除かなければいけない。
それが僕のカルマなんだ」

その手は神にもらった素晴らしいギフトだれど、
その手の持つ役割を果たすことに喜びを持ってその仕事を為している彼を見るのは何だかとても切なくもあった。。。


施術中に薄目を開けて彼を見る。

その姿はまるでブッダだった。
クルクル頭で腰巻姿のせいだけではなく(笑)
その伏し目の変わらない表情と、背筋を伸ばしてただただ施術に集中する姿。
全てが淡々と確実に行われる。


トリートメントと言うのは最終的に何がどのように治療されたのかが大切で、
イメージやルールや理論の世界ではない・・・と私は思う。思った・・・。

もし自分の中にこだわりや不要なルールや偏見や・・・そんなものをもっていたら、
私はいまだに癒されるという感覚や、リラックスするという感覚を知らずにいたと思う。


たくさん勉強して、たくさん知識をつけて、その知識の中でのみYES/NOを決める。
自分の中だけならまだしも、それに人を巻き込む。

それはとてもこわい世界だな、と今思う。

一番大切なのは外を見ることじゃなくて内を見ることなんだ。
うん、それは皆知っていると思う。
知っていてもやっぱり外を見て、自分の感覚じゃなくて、誰かの感覚を信じる。
だからいつまでたっても自分を解放できないし、自分の喜びを見つけることができない。


タイトルから話は大幅にズレていますが、
沈没中にこの辺りまで来ています(^-^)
毎日毎日私は変わってきていると言われます。

ここを離れて人生を教えてくれる先生が身近にいなくなっても、
なんとなく大丈夫な気がします。
う~~~ん、どうだろうな?
ま、いいや先の事は。






 

2015年4月8日水曜日

「愛」を学ぶ

今回のインド滞在のテーマは

愛を学ぶ

なのかなぁ~


これまで50年も生きてきて今更こんなこと言うのもナンなんですが・・・

これまでの人生、あまり「愛」にフォーカスしたことなかったような気がする。


愛というものがよくわかっていなかった?

マヤ歴の占いには「愛に課題を持って生まれてきた」と出ていた。
ふ~ん、とか思いながらちょっと気になっていたんだ~。


家族愛とか・・・難しいんだ、私には。
家族のことを思うとなぜかいつも涙が出る。
離れているからじゃなくて、一緒に住んでいても涙が出る、というより泣く。

なのに憎んだりした。だからたぶん泣くんだ。


恋愛の「愛」は・・・
その人に食べられて死にたいとかいうアホみたいな思いは
愛ではなくて情熱だ。

結婚した時、旦那さんへの愛は異性ではなく家族への愛に変わった。
そのことに混乱して結婚は終わった。
そんな離婚だったから今でも彼とは仲がいい、ってことなんだな。


本当に私は初めて人間をやってるんだな~とよく思う。
生き方が笑っちゃうほど不器用だし、わからないことが多過ぎるよ。


でも今回のインド滞在で今まで私の世界にはなかった感じが広がっているの。
私はフレンドリーだけど知らない人にすぐにあったかい気持ちをもったりするようないい人じゃない(笑)

しか~し、今回は同じゲストハウスに滞在しているスイス人とかフランス人とかと普通に仲良く一緒の時間を過ごしている。心地良く時間を共有できるんだな~。
心の中にいつも「ニッコリ」みたいなものが存在している。


でもね、さっきそれが危うく壊れそうになって混乱した。

あ~私の大好きなダーリンはゲストハウスのマネージャーなので、
そりゃお客さん連れてくるし、やさしくするさ。

彼のしあわせは私のしあわせ。

って思ってたはずなのにしょんぼりした気持ちになった。



この嫌な感情は久しぶり。

これは違う、絶対に。

そう思って外に散歩に出かけた。

微笑みに微笑み返したり、おじちゃんたちと少し言葉を交わすうちに、
うん!この感じ!っていうのが戻ってきた。

確実に世界は自分が作っている。

うん!OK!今回のインドは本当に私にやさしい。いつも助けてくれる。

そう思って弾むように歩き始めたら
後ろから彼のバイクが走ってきて、満面の笑みで
「早く後ろに乗って」って・・・

いつもそこに愛はある。

それを見ようと思えばそれはいつもそこにある。
ただ自分がそれを見ないで闇を見ていただけ。

行きつ戻りつ少しずつ前に進んでる気がする♪♪




 

2015年4月7日火曜日

こ~れ~も~愛♬

私の人生、色恋はもう終わった・・・

と思ってました。

あんなにバカみたいに恋してたのに・・・もう誰にもピクリとも心が動かないわ~

と思ってました。

もうカラッカラでどこからも水分なんて出てきやしないわ

と思ってました。


でも私、今自分の分身みたいに思える人がいる。

ソッコーで恋に落ちるのは私の得意技だったけど、・・・・・

落ちなくなって久しいし・・・

なんかそれとは違う。


ドキドキするような思いじゃなくて

顔を見るだけで

「居てくれてありがとう」

って、あったかい気持ちがこみあげてくる。

なんでこの人はこんなにいつも微笑んでいるんだ?
ラクダのような目で私をみるんだ?
なんでこんなにすべてを受け入れてくれるんだ?


この生を受けて50年目にこの人に出会った。
出会って、一瞬交差して、また離れていく。


それでも全然いい。

私は今この瞬間を十分に楽しんでいるし、十分に満たされている。


この人と出会ってから私はすっごく変わった。

「満たされている」状態を初めて知った。

初めてその方法がわかった。

だから自分一人でもそれができるようになったんだよ。


今、私はどこにいても、近くにいる人に心を開いて自分を見せることができる。
そうするとどんなことが起きるのか・・・

それだけで世界がこんなに優しくて楽しくなることを初めて知ったよ。


またこんなこと言っちゃってるよぉー、という声が聞こえてきますので(笑)
この辺で終わりにしておきます。






 

2015年4月1日水曜日

さよならコヴァラム

明日の昼前にコヴァラムを出ます。


今朝いつものように薄暗い時間にテラスに出て、
ヨガマットをしいて、
太陽の出てくる方向を正面に座った。
空がだんだん明るくなって椰子の木の影をくっきりと浮かびあがらせるのを見ながら、
自然と胸の前で手を合わせた。

私はこの土地で何百日こうやって朝日が昇るのを見ただろう。
いつも少しの苦しみと
少しの悲しみと、
ある時は大きな希望を持って、
ある時はこの南の楽園で絶望をしながら。

「自分がやりたいことをやる」
そればかりを考えていた。
そうすれば私は幸せなんだ、と思っていた。


でも・・・なんか幸せじゃなかったよね。
苦しんでたし、
怒ってた。



今思うとほんと笑える。

私のインド滞在はどうカッコつけようと思ったって「ドタバタ滞在記」だ。
自分で過去ブログ読んでても面白いもん。
すっごく暇なときは3時間くらいブログ読んだりしてるの。笑(アホだ)


でも今回の滞在は今までのように感情の波もないし、
ただ穏やかに・・・今までだったら必ず「ツイてない」結果になったと思われる状況で、
「ツイてる♡」になるのが今回なのだ。

なのでドタバタフログは今回書けません(笑)
しいて言えば超お気に入りの折りたたみ傘をたぶんコーチンのリクシャのオヤジが盗ったこと。
違ったらゴメン。
でもそこまであったし、そこからない(笑)
コーチンは24時間荷物を外に置いてたって心配ない、と言ったのはその人なのに(笑)
その傘はやたらインド人に褒められる傘だったので、そんなに高いとも知らずに悪気もなく拝借したのかもしれない。
まぁそんなことはどうでもいいや。


今回来る前から思っていた「今までとは違う意味の滞在になりそうな予感」は
今そのまま現実に起きている。そんな感じ。


だって私はもうコヴァラムにこない気がしている。。。


だから何百回も行き来した裏道を歩きながら周りの景色を見て心が「さようなら」ってつぶやくんだ。

ここに居る意味、ここに来る意味が・・・ここに来る必要が・・・なくなった。
ということ。


いろんな経験をした。
いろんなこと、わかったよ。特に人間と人間の関係について。


象出身なので、人間のいろんなことがわかっていなかった私です。
いい歳をしても小さい女の子みたいに純粋な私です(自分で言うか?笑)
裏切られたり、騙されたり。
でも今わかる。
それは私のエゴからきたものだ。

悲しみや苦しみもおおよそ私のエゴが生み出したものだろうと今わかる。


わかるだけでこれからどうなるのかはわからない。


でも、今までどうしても自力で登れなかったたった一段の階段を、
上から差し出された手につかまってみたら、きゅっと引っ張ってくれて
「お、登れたっ!」
って感じ。


でも・・・
意味があったんだよね、ここに長い事居る・・・


ありがとね。
いろんなことおしえてくれてありがとう。

毎日癒してくれた海、太陽、鳥の声、椰子の気、呑気な人々・・・
ありがとう。コヴァラム。



 

インド人の夫婦関係の不思議

私とジョイはなんだか少し大人の関係っていうか・・・
穏やか~に色んなことを話す関係です。

何年か前まではお互い顔は知ってるけどよそよそしく挨拶する程度。
だけど去年彼が管理している宿に泊まるようになって、彼の良さがよ~くわかった。
前回の滞在の後半から彼の宿一筋です。

私基本的に声のトーンが優しくて、大きい声を出したり声を荒げたりしない人が好き。
なので彼とは穏やか~な調子のまんま色んなことを話すわけです^^


今日もまぁなんてことない話をしていた時。

「私昨日眠れなかったんだよね~。全然眠くならなくてさ~」
「ホームシックになったの?」
「ホームシックにはならないよー。一回もなったことないよ」
「じゃあ彼と離れてて寂しくなったのか」
「彼いないし~」
「どうしていないの?必要でしょ?寂しいでしょ?」

これは明らかに
「心をシェアする相手がほしいでしょ?」の意味の他に
「人肌恋しいでしょ?」の意味が含まれていることは確か。

なんつったってインド人の性欲は世界一なんですから(笑)

「でもさ~、ジョイだっていつも家族と離れて暮らしてて寂しくないの?」
「寂しくないよ~。シーズン中は忙しいし賑やかだから寂しさなんて感じないし、たまにはヴィレッジに帰るしね。一緒にいないほうがうまくいくんじゃないの?」

えええ~~~
そういう感じなんだ。

でもここらのインド人、別居状態の人がほんっと多いもんね。
かと言って夫婦仲が悪いわけでもない・・・ただ家族の影が薄すぎて不思議なんだよね。

「この辺の男たちはよく湾岸に出稼ぎに行って2年に一度くらいしか帰ってこないでしょ?皆とは言わないけどあっちで家持って女の人と暮らしてる人も多いよ」
と言う。

「奥さんは何も知らないの?」
「そりゃ内緒だもの。奥さんだって職場の男とデキてたりするんだから」

いや~、それホントよく聞く話なんだよね。
インドは性に関して案外モラルがないっていうか・・・
家族を持ってるのに堂々と異性にパッション持っちゃう人、普通に見るよね。

私は言いました。

「いやいやいやいや、だからそれが不思議なのよ。
日本は結婚したら夫婦及び家族は一緒に住むのが当り前よ。
別居は離婚の始まりだよ、たいてい」

「いや、インドはまだまだ離婚が簡単なことじゃない。
そりゃお互いに思いやりあって素晴らしいパートナーとして一生一緒に過ごす人もいるよ。
・・・でも、ほんと一握りだね。アハハ・・・」

「結婚していたってある時ある特別な人とのエナジーが交差することがあるんだ。
そしてその人との関係が始まる。そしてある時またそのエナジーが離れて行くときがくる・・・」

ジョイ自身はあからさまにやんちゃをする人ではないけど、
普通にそういうフィロソフィーの中で生きてるのね。
そして私は・・・どうだろう?・・・結婚していたら相手を裏切るような気がしてできないな~。

結婚してても堂々と恋愛をするってスゴイよね?
皆が皆とは言わないけど、日本の「不倫」みたいな感じじゃないのが多い気がする。
ま、もちろんコソコソと一日100回くらい電話をしあう不倫カップルもいるみたいだけど。

現代のインド人夫婦も相手を神と思う。結婚は修行なのである。なんて思ってるのかどうかわからないけど、家族の影はものすごく薄いながらも隠すわけでもなく・・・
自分自身の人間として生きる自由をしっかりと主張して生きてる人をたまたまかどうか、よく出会うんだよな~。類が友を呼んでしまっているのだろうか?

でもインド人はそれでもネガティブで、人をねたんだりする人が多く、人生をエンジョイしている感覚で生きてる人はあんまり多くないと思うと言っていた。

なるほどの連続の今日の世間話でした。

毎日がなんだか面白くてたまりませんな。